幕末動乱期の京都の治安維持を任務として結成された新選組。集められた浪士や町民らを鉄の規律で統率し、最強の剣客集団に鍛え上げたのが「鬼の副長」こと土方歳三だった。

 幕末風雲の中、新選組を諸藩や公家衆と対等の立場に置きたい土方にとって、最大の障害が初代筆頭局長の芹沢鴨だった。水戸藩攘夷派の出身で、無類の剣豪だが、素行の悪さも天下一品。酔っては刀を振り回し、豪商を脅して御用金を巻き上げ、大坂で相撲取りを殺傷、と狼藉の限りを尽くした。

 芹沢を野放しにしておけば、新選組そのものが無頼漢の集まりだと思われてしまう。近藤勇と土方は、芹沢暗殺を決意する。その凄まじい手口とは──。

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 司馬遼太郎原作『新選組血風録』コミカライズ版から、新選組ができるまでの経緯と、近藤派と芹沢派による熾烈な主導権争いを描いた「芹沢鴨の暗殺」をご紹介する。

人を大根のように斬る男

 近藤勇、土方歳三、沖田総司ら試衛館の面々は幕府の浪士募集に応じ、一路京都へと向かう。一行の中に「ガハハハ」と豪快に笑う男がいた。「人を大根のように斬る」剣豪として知られる芹沢鴨だった。

 
 

 京都に到着した浪士団だが、滞在わずか20日にして関白の命により江戸に帰ることになった。それに応じなかったのが、近藤派の8人と芹沢派の5人だった。

 
 

 京都守護職である松平容保会津藩主の力添えにより、近藤派と芹沢派の13名は京都の治安維持を任務として法的地位と経費を与えられることになった。新選組の誕生である。初代筆頭局長には芹沢がついたが、土方は近藤勇こそが新選組の将にふさわしいと信じていた。