慶応3年(1867年)、京都近江屋で坂本竜馬が正体不明の刺客団によって暗殺される。土佐藩出身で海援隊を組織し、薩長同盟の締結を仲介した竜馬には敵が多かった。

 竜馬の敵討ちを決意したのが、海援隊で部下だった陸奥陽之助。維新後、宗光と名前を変え、日清戦争時には外務大臣を務めた。

 討ち入りに際し、陸奥が頼ったのが剣客である「後家鞘(ごけざや)の彦六」だった。彦六は後に土居通夫と名を改め、新政府の大阪府権知事、兵庫裁判所長を経て財界に転じ、大阪商工会議所会頭となった。

ADVERTISEMENT

 陸奥と彦六を結びつけたのが、京娘のお桂だった──。坂本竜馬との奇妙な縁で結ばれた三人の復讐譚を、司馬遼太郎原作『幕末』のコミカライズ版からご紹介する。

竜馬を襲った謎の刺客集団

 慶応3年(1867年)、11月15日、近江屋二階にて、坂本竜馬とその同志、陸援隊の中岡慎太郎が襲われる。坂本は即死、中岡は2日後に死没した。

 
 
 
 

 坂本の形見の印籠を手にした陸奥陽之助は、敵討ちを誓う。頼ったのは、京都の材木商・酢屋のお桂だった。

 
 

 坂本を襲ったのは、新選組と判明した。陸奥は海援隊と陸援隊の残党から同志を選ぶが、名誉の剣客がいない。そこで、坂本に恩義があるという「後家鞘の彦六」という居合の達人を呼ぶことにした。その連絡役を、お桂に頼みに来たのだった。

 
 

 お桂は、陸奥の頼みを受諾し、舟で大坂へ下る。お桂は坂本に20両の借りがあったのだ。

 

 婚期の過ぎたお桂に後妻の話がきた。しかし、婚礼費用がない。その話を小耳にはさんだ坂本が、20両を出してくれたのだった。