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拝啓 涌井秀章様 “愛の波動砲”G.G.佐藤からの手紙〜北京での無念を後輩たちが晴らしてくれたねの巻

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/08/06

 拝啓 涌井秀章様

 盛夏の候、わくわくさん、ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。

 プロ野球のレギュラーシーズンも中断になり、世の中はすっかり東京五輪一色ですね。涌井君は自宅でどんな競技を観戦していますか? できれば、ビールを片手に君と一緒に観戦したい、愛の波動砲G.G.佐藤です。

ヘルメットからスパイクまで、北京五輪の実使用ユニで臨む筆者 ©G.G.佐藤

結局、五輪の借りは五輪でしか返せない

 思い起こせばあれば13年前、2008年8月22日。快晴の北京・五棵松野球場のマウンドには背番号「16」をつけた君が立っていました。そう、あれは忘れもしないメダルがかかった準決勝の韓国戦。試合は8回の裏の時点で2-2の大接戦でしたね。もう1点もやれない展開でした。

 僕は4回にレフト前に落ちたなんでもないゴロを後逸していて、正直言って、メンタルが普通じゃなかった。普通のゴロをトンネルするなんて、普段の練習でも無いし、プロに入ってからもほとんど記憶がない。でも、大舞台でやってしまったという動揺。「ゴロが捕れないのに、フライなんて捕れない」。そんな風に考えていて、とにかくレフトにボールが飛んでこないことを祈っていました。

 8回のマウンドに最初に上ったのは岩瀬(仁紀)さんでした。李承ヨプ選手の2ランホームランなどがあり、点差は2-4に。でも、この時点ではまだそれほど負けムードというわけではなかった。9回に一山作れば逆転できるかもしれないという雰囲気があったのを覚えています。

 そして、8回1アウトから登板した涌井君。灼熱の北京で、涼しい顔をして投げていた君は頼もしかった。だけど――。

 日本2-6韓国。準決勝での敗北は、各球団から2名ずつという制約すらなくなったオールプロで臨んだ星野ジャパンの至上命題である金メダルという目標が絶たれたことを意味しました。そして、3位決定戦のアメリカ戦でも日本は敗れ、僕もエラーを重ね、ついに銅メダルすら獲れずに星野ジャパンの夏は終わりを告げました。まるで、悪い夢かのように。

準決勝の試合直後、号泣する筆者 ©G.G.佐藤

 あれから13年。それは、あっという間に過ぎた時間でした。涌井君は西武、ロッテ、楽天と渡り歩き、そのすべての球団で最多勝を達成。これは史上初のことです。また、今年は通算150勝の大記録を打ち立てました。また、国際大会では2009年のWBCにも出場し、そこで世界一に輝きましたね。

 僕も北京五輪の直後は本当に悩んで苦しんだし、誹謗中傷もすごかった。当時は今ほどSNSが流行していたわけじゃないけど、あの時代は新聞やテレビなどのメディアが先頭を切って誹謗中傷していた時代だったから。それはそれで辛かったなあ。でも、時間が経過すると傷も癒えてきて、プロ野球を引退したあとは、(株)トラバースでの会社役員と解説者の仕事を同時にするようになって、最近では落球ネタで笑いを取るのが楽しくなってきたりして。まさか自分がSNSをやるなんて思ってなかったけど、それだけ時間が経ったんだなとも思っていました。だけど、どこかに引っ掛かる部分が残っていたんだよね。それは、日本がWBCを制しても取れなかった。

 結局、五輪の借りは五輪でしか返せない。