背番号「11」が躍動する。

 奥川恭伸が、力と技で観客を魅了する。もちろん成功ばかりではないけれど、可能性と希望に溢れるピッチングを見せている。

 そんな奥川を「気になるので、結構見てますよ」と、かつて「11」を背負った由規が、自身の高卒2年目も振り返りながら語ってくれた。

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 1試合ごとに確かな成長を感じさせる、今季の奥川。

 甲子園を沸かせたエースは、ドラフト競合の末に東京ヤクルトスワローズに入団。1年目の2020年はファームで過ごし、11月10日の神宮最終戦でプロ初登板を果たした。その時には5失点と打ち込まれたが、2年目の今季は一軍キャンプに参加。開幕カードから、投球内容と回数は日を追うごとに進歩し、6月20日には7回無失点と申し分ないものとなった。

 150キロを超えるストレートとキレのいい変化球。抜群の制球力。大舞台に強いメンタル。大器が実力を発揮しつつある。順調な高卒2年目シーズンだ。

 一方、現在ルートインBCリーグ・埼玉武蔵ヒートベアーズで現役を続ける由規の、今の背番号は「18」だ。今季は先発投手を任されている31歳。

ルートインBCリーグ・埼玉武蔵ヒートべアーズの由規 ©HISATO

 由規がヤクルトを離れたその年にドラフトで指名され、間を置かずに11番を与えられたのが奥川だった。その時の気持ちはどうだったのか。奥川は由規にとってどんな存在なのだろう。

「自分が着けた背番号をそのまま受け継ぐっていうことが、僕にとってはすごく嬉しかった」

「継承ってそんな大それたことではないですけど。僕も言うほどすごい活躍をしたわけではないので。ただ、自分が着けた背番号を奥川がそのまま受け継いだっていうことが、僕にとってはすごく嬉しかったですね」

 陽焼けした笑顔で語る由規は、甲子園で投げる奥川の姿も見ていたという。甲子園で活躍し、競合の末にヤクルトに入団したその境遇は、自身と重なる部分がある。

「ピッチングスタイルは重なる部分はあまりないですけどね。結構見てますけど、やっぱりほぼ完成されてるんで。綺麗なピッチングするなって見てました。僕はどっちかっていうと荒々しくて、投げてみないと分からない感じだったなぁって気がします」

 由規の前任で「11」のイメージが強いのは、何と言っても荒木大輔(現日本ハム二軍監督)だろう。高校時代も着けた背番号を1983年から1995年まで、ヤクルトでの現役時代はずっと背負い続けた。

 とはいえ、荒木の甲子園での姿や現役時代の頃のイメージは、由規の入団時にはもう遠かった。由規も話を聞いてはいたが、正直ピンとは来なかったと言う。

「11」の先輩、荒木大輔コーチから教わったこと

「ヤクルトの11番というよりも、球界の11番を見た時にエースと呼ばれる人が多いし、ピッチャーの代表的な番号だという意識がありました」

 荒木は投手コーチとして由規と長く関わった。「すごくお世話になりました。あの選手を見習えとか、この動画を見ろとか。西武のコーチもされていたので、僕がオールスターに選ばれた時には『涌井と岸に話を聞きに行け』と、事前に話を通してくださって、当日色々話を聞くことが出来ました」

 高卒1年目の2008年から、由規は一軍で6試合を投げ2勝1敗。ファームではイースタン最多勝となる8勝を挙げた。

「開幕一軍を狙ってたけど、足首の怪我もあり開幕は二軍。それでも二軍でローテーションで回って、ある程度自信が出てきた時に呼ばれたという感じです。今となってはいい階段の駆け上がり方でしたね」

 2年目には開幕ローテーションに入り5勝10敗。登板数とイニング数が大幅に増えた。

ヤクルト時代の由規 ©HISATO

「この年はもう何回もマメ潰して、6回7回抹消したんで……それは勿体なかったです。普通だったらもっと投げてもおかしくなかった」

 いい投球をしたと思うとつまずく年だった。ファンもやきもきしたが、本人も歯がゆかっただろう。

 一つの転機があった。きっかけは投手コーチの言葉だ。

「そのころ伊藤智仁コーチに『ボールの握りから変えろ』って言われたんですよ。で、3年目にそれがハマった感じでしたね」

 翌2010年にはキャリアハイの12勝を挙げている。背番号11がひときわ強く輝きを放った時期だった。