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相手をなぎ倒していく、すごいピッチャーが出てきた

佐藤 さて、ずいぶん遡りますが、私が初めて三浦さんの登板を生で観たのが、1997年の8月20日の神宮球場でのヤクルト戦なんです。無四球十二奪三振で5対1で完投勝利。97年は、チームが開幕ダッシュに失敗したのに、気がついたら8月にまさかの優勝争いをしていた。私は当時、子供がまだ小さくて人生でいちばん球場に通えていない時でしたが、これは何が何でも観に行こうと思ったところ、三浦さんの登板日だったんです。お名前はもちろん存じ上げていましたけど、実際に観るとすごく生きがいいというか、元気というか、相手をなぎ倒していく感じで、すごいピッチャーが出てきたと思いました。

佐藤多佳子さん ©杉山秀樹/文藝春秋

三浦 そのシーズンは2位になった年ですね。僕が勝った後のヤクルト戦で石井一久投手にノーヒットノーランをされてしまって、結局、優勝はできなかったんですけど、この年と翌年の盛り上がりはすごかったです。

佐藤 96年に監督が近藤(昭仁)さんから、大矢(明彦)さんになって4月は良かったけれども、じりじり後退して結局5位でした。翌年、優勝争いを9月までしたわけですけど、選手として三浦さんは、当時、どのようなことを感じていらっしゃいましたか?

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三浦 僕も若かったので、正直、チームのことより自分のことしかその時代は考えていなかったんです。92年に入団して、4、5年目の時期ですから、自分が目立ちたいし、いい思いがしたい。「俺を試合に使ってくれ」「俺が出たらいいところをみせてやる」ということで、優勝はもちろんしたいんですけど、それよりも自分が一軍で試合に出ないことにははじまらないという時代でした。

佐藤 97年の成績が十勝で初めての二桁勝利ですね。

三浦 その少し前から球団に18番をつけさせてほしいと言っていたんですけど、「結果を出したら」ということで、ようやく二桁勝てた97年オフに18番がもらえたんです。

佐藤 ご自身のことに一生懸命になっているうちに、気が付いたらチームがだんだん強くなってきたというかんじでしょうか。

三浦 そうですね。97年に勢いがあったところでノーヒットノーランをされたヤクルトが優勝した。この悔しさがあってこそ、翌年の優勝につながったんだと思います。選手もレギュラー陣が僕より三つ、四つ年上の30歳前後でイケイケでしたから勢いもありました。93年に大洋ホエールズから、横浜ベイスターズに変わって、巨人から駒田(徳広)さんが移籍し、若い選手がどんどん力を付けてきたということだと思います。そして遂に98年に優勝して、これから横浜の時代だと思ったんですが……。

佐藤 確か3年続けて3位で、そこからスーッと。

三浦 メンバーもどんどん変わっていくし、辛かったですね。FAで残ったけれど、そこからもまた勝てない辛い時期が続いて、本当にここ数年でちょっとずつ変わってきました。チームも強くなり、去年も若いピッチャーが出てきて、特に前半はローテーションがしっかり回っていましたから、またいいチームになってきました。

昨季CSで巨人に勝った試合は優勝した98年に雰囲気が似ていた

佐藤 比べても仕方ありませんが、何となく98年前後のことを思い出しますよね。

三浦 去年よく話したのは、CSの東京ドームで巨人に勝った試合は、特にベンチはもちろんそうですけれど、スタンドのファンの方も、サロンにいる控えのベンチ入りしていない選手、裏方さん、トレーナーさん全員が一球、一球に集中して、一喜一憂していたのを、「あ、この雰囲気懐かしいな」って、僕は思ったんです。

佐藤 やっぱり思いましたか?

三浦 98年の時はこういう野球だったな、と。一球ごとに盛り上がって、それがあちこちで同時に起こる。それを経験できたのは、いまのチームにいい刺激になったと思います。広島のマツダスタジアムにいったら目の前で胴上げをされて、悔しい思いもした。いいことも悔しいことも両方経験できたのは、来シーズン以降のこのチームにとっては、ものすごく大きな財産です。

佐藤 私もCSの巨人三連戦と広島との最終戦を観戦しました。東京ドームのスタンドは本当にすごくて、少し前までは三塁側で横浜のユニフォームを着て応援すると目立ってつらいっていう雰囲気でしたけれど……。

三浦 レギュラーシーズンでの東京ドームもだんだんと横浜ファンが増えてきたんですけど、あの試合は半分、いやもしかしたら横浜ファンの方が多いんじゃないかと思うくらい応援をしてもらいました。

佐藤 応援の勢いでは絶対に勝っていたと思います。ビジターの内野席がホームの外野席のような応援でした。特に3戦目は声が嗄れるまで叫びましたね。

三浦 僕らのロッカーにまでスタンドの声が聞こえていました。前回、優勝した98年も甲子園球場がビジターの三塁側から埋まって、半分以上が横浜ファンで埋めつくされた時があったんですけど、それに近い風景でした。