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《暴力団と交流もあったが…》『仁義なき戦い』で名を上げた菅原文太がヤクザ映画への出演を辞退するようになったワケ

『仁義なき戦い 菅原文太伝』より #2

2021/08/03
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「オヤジと一緒にいなかったから手本がないからね」

 薫のデビュー作『恋する女たち』は3人の女子高生の恋と友情を描いた作品で、薫はヒロインの斉藤由貴に憧れる高校生を演じている。2年後、薫は、岸惠子と文太が主演の日本テレビ・水曜グランドロマン『バラ』(88年11月9日放映)で、文太と初共演する。この頃、同じ2世スターとして宍戸錠の息子・宍戸開もデビューしており、3年後の89年には『マイフェニックス』で、宍戸開と菅原薫という2世俳優同士が共演することになる。息子のためのバーターなのだろう。宍戸錠と文太も同作に特別出演している。

 この他にも文太は各方面に対して息子を売り込んだものの、薫の映画出演は叶わなかった。息子を共演させたくとも、文太自身の出演作品が減少していたからである。「頼れるものは自分だけだ」と話す一方で、文太は息子を応援してやりたくて、奔走した。

“親の心子知らず”というが、父親の存在が重すぎたのか、あるいは干渉されるのが苦痛だったのか、薫は3年ほどで芸能活動を辞めてしまう。高校卒業後は、ミュージシャンになるべく、音楽学校に通い始めた。このときも文太は薫の意思を尊重して、特に反対はしなかったという。

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 後年、スポーツ紙で「親父って何だ?」というテーマの取材を受けたとき、文太は戦争のせいで、自分には甘えられる父親がいなかったことを話し、自身のオヤジぶりについても語った。

 やっぱり、オヤジと一緒にいなかったから手本がないからね、オヤジ下手だね。長男が最初に生まれたときは、喜びと戸惑いがあったな。初めての分身だから不思議な感じがして、考えてしまったよ。自分が父親に育てられた記憶がないから、手探りの中で付き合っていったんじゃないかな(「日刊スポーツ」95年11月19日)

 放任主義だとも話すが、薫の将来が気になり、世話を焼かずにいられなかった。

 息子には甘い父親だったが、50代半ばになった文太は、市川崑監督の作品で魅力的な大人の男の佇まいを見せる。

【前編を読む】「誰が決めたんじゃあ!」 頑固者・菅原文太が撮影に向かう新幹線内で起こした“うどん騒動”の一部始終

仁義なき戦い 菅原文太伝

松田美智子

新潮社

2021年6月24日 発売

《暴力団と交流もあったが…》『仁義なき戦い』で名を上げた菅原文太がヤクザ映画への出演を辞退するようになったワケ

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