一体、なぜここまで惹かれる人が出てくるのかさっぱりわからない。ゼロ年代のお笑いブームを牽引した芸人であり、原作・製作総指揮を手がけた映画『えんとつ町のプペル』をヒットさせた西野亮廣についてそう思っている人は決して少なくないだろう。西野、そして彼の周辺を取材してみてわかったことがある。彼はインターネット上に渦巻く「批判」の数々に辟易した人々のニーズを確実に捉えているということだ。

 彼が仕掛けるクラウドファンディングは常に「アンチ」からの批判で溢れている。

《500円(※ツンデレ好き限定)このリターンを購入したことを西野亮廣と会った時に言っていただけると、 西野がぶっきら棒に「ああ。ありがとう」と御礼をします。》

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西野亮廣氏(芸人・絵本作家)

《5000円【西野&西畠と時計台を作れる権利】》

 あっという間に目標金額を達成したが、ツイッターを検索すればなぜここまでして「権利」が購入されているかわからないという声が多くヒットする。その理由は、明確だ。ヒントは西野が描いてきた物語のなかにある。西野が描く物語世界の基軸は「不可能への挑戦」と「報われるカタルシス」、この二つをセットで描くことである。

オンラインサロンにおける“絶対的なルール”

 例えば映画『えんとつ町のプペル』の主人公は、煙に覆われた「えんとつ町」に住む少年ルビッチだ。この町の絶対のルールは「空を見上げてはいけない」というもの。ルビッチは煙の向こうには星空があると信じている。だが周囲の友人たちは、「そんなものはない」といい、バッシングの対象になる。それでも星空があると信じている彼は、えんとつ町に隠された秘密を知り、煙に覆われた空を晴らすための冒険へと向かう。最後は馬鹿にしていた友人たちも、彼の行動に巻き込まれていく――。

 これは、彼が生きてきた世界そのものであると同時に、周囲を含め少なくない人々が経験してきた馬鹿にされたり、笑われたりした経験とリンクする。西野のオンラインサロンでは、ひとつの絶対的なルールがある。

「指摘はいいが、『批判』は禁止。指摘の最後は必ず『フォロー』の言葉で終わること」

映画「えんとつ町のプペル」ポスター

「夢を信じているものは笑われる」

 西野にとってのサロンは、批判なき優しい共同体を志向する場であり、そこには西野の実体験から生み出されたポジティブな「物語」と行動で溢れかえっている。著名人がインターネットを通じて、月に6000万円を超える原資を集め、それを元手に絵本や映画、プロジェクトを動かす。この方法だけに着目すると、いかにも現代的だが、それは本質を見誤らせる。オンラインサロン自体は、ほかにも多くの著名人が取り組んできた。しかし、長続きしないまま終わることがほとんどだ。

 なぜ西野にここまで人が集まるのか。そこは、やはり彼の手腕に負うところが大きい。決定的なのは、西野のストーリーテラー的手腕だ。エンタメ研究所もブログ、YouTubeも圧倒的な配信量だが、それを支えている大きなプロットは、「西野亮廣」という主人公が、エンタメ界で世界の頂点に立つという「夢」にむかってあゆみ続けるというものだ。彼自身が彼の物語の「伝道者」となっている。オンラインサロンなどで提供されている「物語」と、作品を通じて打ち出される価値観は同じで、「夢を信じているものは笑われる」である。サロンの外部から西野に向けられる批判は、「あぁ、また誰かが笑っているんだ。それも西野さんが走り続けている証拠」と消費され、支援者同士の結束を高めるだけで終わる。