「人間には敵か家族か使用人の三種類しかいない」とは田中真紀子の言葉だが、菅義偉の場合、そこにもう一種類が加わるだろうか。「バッハ様」である。
首相というよりは、「IOC担当大臣」?
――バッハ「感染状況が改善したら有観客の検討を」(14日の菅との面会にて)。
この無理な要望に菅は「ずっとああいうことを言ってくるんだよな……」とボヤくしかなかったという(週刊文春7月21日発売号)のだが、その1週間後、菅は自らこう発言している。
――菅「感染状況が変わってきたらぜひ、有観客の中でと思っている」(21日の首相官邸で記者団の取材に)。
菅はまるで、ぼったくり男爵ことバッハIOC会長に仕える使用人、あるいは御用聞きのようだ。なにしろ自らが発令した緊急事態宣言の真っ只中でありながら、コロナ感染が拡大し病床逼迫が進む現実に背を向けるのだから、一国の宰相というよりは、IOC担当大臣の趣である。
そんな菅は、心を無にして「安全安心」を言い続けることに終始することで五輪開催を守り抜いた。かつて、官房長官として仕える安倍晋三を守るために「(批判や指摘は)当たらない」を繰り返したように、だ。
しかしながら天皇への内奏(6月22日)に際しても、「五輪の名誉総裁も務める陛下が感染対策を尋ねられたのに対し、菅は通り一遍の『安全、安心の大会』としか答えられず、科学者でもある陛下が懸念しておられるとの見方」があり(文藝春秋8月号の赤坂太郎の政局時評)、それが宮内庁長官の「天皇陛下のご懸念」拝察(6月24日)にまで発展したと見られている。
続々とオリンピックとの関わりを消していく
また開会式当週になると、五輪の大口スポンサーであるトヨタの経営幹部が開会式に出席しないことが明らかになり(19日)、パナソニックなどもそれに続く事態となった。こうした動きに便乗するかのように、パソナの幹部や安倍晋三までもが開会式出席を取りやめる。テレビ中継で映し出されたりしようものなら、評判を落としかねないというわけだ。
不祥事で名前が広まった人物をFacebookの「友達」から皆が一斉に削除していくかのように、オリンピックとの関わりを消していく。コロナ対策で失策の続く菅政権は、オリンピックを「スポーツウォッシング」(スポーツを利用して悪評を洗い落とす)として利用しようとしていると言われてきたが、実際はバッハや菅ら五輪関係者がヨゴレとして拭い落とされた格好であった。