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 菅や上述の大臣たちも同様に「ためらい傷がない」ように思える。この人たちの場合は、心がないので、国民の生命や生活を脅かすことに、ためらいがないかのようだ。

 コロナ対策担当の西村康稔にいたっては酒類の提供をする飲食店に対して、金融機関に融資停止をちらつかせて圧力をかけるよう求めると表明(後に撤回。また、官邸官僚の発意であったことも発覚)。

「晴れの日に傘を貸して雨の日に取り上げる」といわれた銀行だが、そんな銀行員にさえも「資金繰りをどう支援するかが我々の任務だ。自粛要請が徹底されない現実への問題意識は理解するが、筋が違うんじゃないか」(朝日新聞デジタル)と咎められる始末であった。

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西村康稔・経済再生相 ©共同通信社

 政治は結果責任だというが、「もう選手が来ちゃったから」で済ませてしまう無責任ぶりである。もっとも、こうした所業を追及させまいと、あらかじめ国会を閉めておくことには手抜かりがない。

菅が「政治生命を賭ける」とは言わない理由

 政治家はとかく「政治生命を賭ける」と言いたがるものだが、菅はそうしたことを言わない。芝居がかったことが苦手な性格もあるのだろうが、実のところは首相在位「最低4年」を早々に目標に掲げているからだろう。つまり「長期政権」を目指しているわけだが、実態は「延命」を目的にした政権であるといえる。そのため、コロナ禍という危機に際して、その対策に政治生命を賭ける気がないのである。

 巷間、安倍政権は「やってる感」だけだと言われ、それでも高い支持率を維持し、選挙にも勝ち続けた。そのために、結果責任を問われることなく、選挙の勝ち負けだけが問われる政治風土となった。しかし「やってる感」で野党に勝つことは出来ても、新型コロナウイルスには勝てない。しかし菅は相変わらず、結果責任ではなく選挙の勝敗だけを気にする。その選挙はオリンピック次第だ。

 だから菅の場合は「やってる感」は「やってる感」でも、「オリンピックやってるよ感」が大事である。

 菅首相は「五輪で池江璃花子がメダルを取れば日本中が熱狂し、コロナ(対策の失敗)など忘れて総選挙で勝てる」と漏らしていたという(文藝春秋7月号の赤坂太郎の政局時評)。この目論見は外れてしまったが、柔道の高橋直寿選手が金メダルを獲得すると、すかさず菅は電話をし、官邸はその姿を公開した。

「安倍政権が株価連動内閣なら菅政権はコロナ連動内閣」という見立て(日経新聞・芹川洋一)があるが、しかし菅は今や、「金メダル獲得数連動内閣政権」の長として、誰よりもオリンピックに一喜一憂していようか。