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菅首相の「唯一の強み」

 もっとも、開会式でのバッハの挨拶が長いのが不評であったことから、結果的にはバッハによって菅は自分の悪評を逸らすことができ、菅にすれば、「バッハ様々」であったろうか。

 それにしても菅がバッハ会長の使用人になってしまうのは無理もない。菅の強みは誰かに仕えることでしかないからだ。本人の政策といえばケータイ料金の値下げといった小さなものがあるだけで、安倍の「地方創生」「アベノミクス」のような大きな物語があるわけでもない。「自助・共助・公助」とそれっぽいことを言ってみるのがせいぜいである。

 もっとも菅は、宰相としての自らの器量のなさには無自覚のようだ。「サミットは俺が動かしたようなもんだ」とG7サミットから帰国後に自民党幹部に自慢して、二階俊博らを唖然とさせた(文藝春秋8月号の赤坂太郎の政局時評)というくらいである。

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バッハ会長

ワクチン、五輪……担当大臣たちの仕事ぶり

 そんな菅に仕える者たち(各大臣)の仕事ぶりはどのようなものか。

 ワクチン担当の河野太郎は、ワクチン不足に陥ることが4月下旬にはわかっていながら、それを隠して「打て、打て」と自治体を追い立てた。結果、一時的な供給停止になったことから、埼玉県知事は、「国のガバナンスが失われている。あきれて言葉もない」と断じ、それを伝える共同通信の配信記事には最後、こうある。「県は8月から、生活に必須の業務を担うエッセンシャルワーカー向けの接種を始める予定だった」。

 あるいは五輪担当の丸川珠代はボランティアスタッフへの2度のワクチン接種が間に合わないことについて「1回目の接種で、まず一次的な免疫をつけていただく」、あるいは“バブル方式”が穴だらけであることについて野党議員に問われると「もう選手が来ちゃったから」とあしらう。

「ためらい傷のない」政治家たち

 その昔、佐野眞一は総理大臣の小渕恵三を「ためらい傷のない男」と呼んだ(文藝春秋1999年10月号)。小渕は真空総理と呼ばれるくらい中身が空っぽで、そうであるがゆえに従来の総理大臣であれば戸惑ったり、ためらったりする法案を躊躇(ちゅうちょ)なく推し進める姿をそう評したのである。