都心のエリート家庭で起きた凄惨な殺人事件だったこともあり、当時は多くのメディアがこの事件を報じました。表舞台で華やかな生活を送る短大生の妹を、浪人生活で苦しむ兄が殺害した……という構図で語られることも多く、また、殺害後に遺体をバラバラに切断した残虐性をセンセーショナルに報じるメディアもありました。
「何故あの時、謝ってくれなかったのか」
しかし、事件から数週間後、両親が兄妹間の関係性と事件への思いを率直に綴った手記を発表すると、世の中の関心は“親の心情”へと移っていきました。
その手記の中で、両親は〈二人とも私たちにとっては掛け替えのない子供たちです〉と述べつつ、逮捕された次男のことは〈優しく、家族に対し暴力を振るったりするようなことは一度もありませんでした〉と肯定的に表現していたのに対し、亡くなった長女のことは〈残念なことに、妹のA(※手記中では本名。以下同)は大変気が強く、絶対と言っていいくらい自分から非を認め謝るということのできない子供でした〉と、強い言葉でその人柄を綴っていました。
さらには、〈今となっては、何故あの時、Aが「ご免なさい」と兄に謝ってくれなかったのか、もし、謝ってさえいてくれれば、兄も我に返り、このような凶行に至らずに済んだのではないか……〉と、事件の責任を殺された長女に負わせ、逮捕された次男を庇っているようにも思える表現に注目が集まったのです。
とはいえ、家庭内で殺人事件が起きた際に、このように「遺された家族が犯人を擁護する」というケースは、実は珍しくありません。
加害者側を庇う心理とは?
前編でもいくつかご紹介した通り、「大島てる」サイトから自宅の記載を消してほしい、という連絡をもらうことが時々あるのですが、その際に、例えば「長男が次男を殺したのは、親である私を守るためだった」などと主張する人が少なくないのです。
要は、「凶悪な殺人事件が起きたわけではないのだから、ここを事故物件としないでほしい」「被害者側でもある自分が納得しているのだから、事件としては完全に終わっていて、情報を掲載する意味はない」といった趣旨なのですが、その不動産で死者が出たことは事実なので、家族の心情がどうあれ、事故物件として扱われることに変わりはありません。