日常で使う様々な言い回し。話していて、書いていて、ふとした瞬間に「あれ、これで言い方あっていたっけ……?」と疑念がよぎることはないだろうか。
そんな日常で直面する「微妙におかしな日本語」について、『日本国語大辞典』の元編集長で、辞書一筋37年の神永曉氏が解説した『微妙におかしな日本語――ことばの結びつきの正解・不正解』より、一部を抜粋して引用する。
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心の中に心配事や憂いごとがあったり、他人のいやな言動に不快を感じたりして表情に出すことを、「眉をひそめる」と言う。ところがこれを「眉をしかめる」と言う人がいる。
文化庁が2014年(平成26年)度に行った「国語に関する世論調査」では、「眉をひそめる」を使うという人も「眉をしかめる」を使うという人もともに44・5%と、きれいに分かれてしまった。しかも、興味深いことに50代、60代では「眉をしかめる」派が多くなるのである。
従来、「眉をしかめる」は「顔をしかめる」との混同で誤用だと言われてきた。
「ひそめる」も「しかめる」も漢字で書くと「顰める」である。意味は「ひそめる」は眉の辺りにしわを寄せる、「しかめる」は、顔や額にしわを寄せて渋面を作るということで異なるが。
『日本国語大辞典(以下、日国)』によれば、「眉をひそめる」の最も古い例は、『将門記承徳三年点』(1099年)のものである。これは平将門の乱を漢文体で描いた軍記物語『将門記』を、承徳3年に訓読したものである。
一方、「眉をしかめる」にも時代はかなり下るが、『清原国賢書写本荘子抄』(1530年)の例がある。これは室町後期の漢学者で国学者でもあった清原宣賢が漢籍の『荘子』を講義した際の筆記録で、のちに清原国賢という人がこれを筆写したものである。
さらに「眉をひそめる」と同じ意味の「眉を○○(動詞)」という言い方を『日国』で探してみると、他にもいくつか存在することがわかる。「眉を曇らす」「眉にしわを寄せる」「眉を集める」「眉を寄せる」などである。これらはすべて、眉の辺りにしわを寄せることである。『日国』で引用しているこれらの用例は、たとえば、
「眉を曇らす」:夏目漱石『彼岸過迄』(1912年)「年寄の眉を曇らすのがただ情ない許で已めたとも云はれない」
「眉にしわを寄せる」:評判記(江戸時代、遊女や歌舞伎役者の品評を記した書)『吉原すずめ』(1667年)「まゆにしはをよせ、ふんべつづらする心学者」
「眉を集める」:泉鏡花『義血俠血』(1894年)「不審の眉を攢めたる前世話人は」
「眉を寄せる」:樋口一葉『にごりえ』(1895年)「ああ困った人だねと眉を寄せるに」
などである。
「眉をひそめる」が最も一般的な言い方だとは思うのだが、「眉をしかめる」もそのバリエーションの一つと考えた方がよさそうな気がするのである。