7月27日、横浜スタジアムで決勝戦が行われた東京オリンピックのソフトボール、日本(世界ランキング2位)が1次リーグ1位のアメリカ(同1位)を破って、オリンピック連覇となる金メダルを獲得した。優勝の瞬間のマウンドには、前回の金メダルの立役者・上野由岐子投手がいた。
ソフトボールが13年前の北京大会から3大会ぶりに復活した今大会。前回の金メダル以降、ソフトボールはオリンピック競技から消える「不遇の時代」を迎え、北京五輪の熱狂から4年後のロンドン五輪の際には、上野投手も不安を口にしていた。
そんな苦境を乗り越えての金メダル。当時の様子について報じた「週刊文春」2012年08月16・23日号の記事を再公開する(年齢・肩書きなどは掲載時のもの)。
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日本人メダルラッシュに沸く8月上旬、手書きのスコアボードが掲げられた北関東の市営球場に4年前のヒロインの姿があった――。
地元の中高年ファン50~60人が見守る中、野太い声援を受けてマウンドに立ったのは、北京五輪で女子ソフトボール日本代表を金メダルに導いた立役者、上野由岐子投手(30)。
ソフトボールは「人気の低迷」を理由に、今回の五輪から正式種目でなくなった。ロンドン五輪開催直前に上野率いる日本代表が快挙を成し遂げていたことも、ほとんど知られていない。
「7月下旬にカナダで開催された世界選手権で、日本は決勝で王者・米国を下し、金メダルを獲得しました。これは70年大会以来、42年ぶりの大金星。上野は3日間4連投で怪物ぶりを世界に見せつけましたが、日本のメディアは五輪一色で、完全にベタ記事扱いでした」(スポーツ紙記者)
これには上野本人もさすがに拍子抜けしたと言う。
北京の興奮、熱狂を考えると、悲しいというか…
「注目度がここまで違うのかと。実際、現地カナダに日本人はほとんど来ていませんでした。取材に来たのは、共同通信だけ。日本に帰ってからは、フジテレビとNHKが取材に来てくれましたが、北京の興奮、熱狂を考えると、悲しいというか……うん」
ソフトボールの種目外が決定したのは、北京五輪開催の3年前のこと。
「私は十数年間、『五輪で優勝する』という夢だけを追いかけて、歯を食いしばって練習をしてきました。ウチらが勝つことでソフトボール復活に向けたアピールもできるという気持ちもあった。そう考えると(五輪優勝は)自分だけの夢じゃなかったんです」
北京で413球を投げ切り金字塔を打ち立てた上野だが、その後に待っていたのは地獄の日々だった。