日常で使う様々な言い回し。話していて、書いていて、ふとした瞬間に「あれ、これで言い方あっていたっけ……?」と疑念がよぎることはないだろうか。
そんな日常で直面する「微妙におかしな日本語」について、『日本国語大辞典』の元編集長で、辞書一筋37年の神永曉氏が解説した『微妙におかしな日本語――ことばの結びつきの正解・不正解』より、一部を抜粋して引用する。
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実力があり、他人に左右されたり圧倒されたりしないということを、「押しも押されもせぬ」と言う。「押しも押されもせぬ政界の大立者」などと使う。だがこれを「押しも押されぬ」と言う人がいる。
文化庁は「国語に関する世論調査」で、2003年(平成15年)度と2012年(平成24年)度の2回にわたってこの語の調査を行っている。
2003年度調査では「押しも押されもせぬ」が36・9%、「押しも押されぬ」が51・4%だったのに対して、2012年度調査では「押しも押されもせぬ」が41・5%、「押しも押されぬ」が48・3%で、数値に若干の違いはあるものの、いずれも「押しも押されぬ」の方が多数派を占めている。
しかも2012年度調査では、「押しも押されもせぬ」を使うという人の割合が多いのは60歳以上だけで、20代から50代まではすべて「押しも押されぬ」が5割を超えている。特に30代は、「押しも押されもせぬ」が30・6%、「押しも押されぬ」が58・1%とその差が顕著である。国立国語研究所のコーパスでは、「押しも押されぬ」の使用例は2例だけではあるが、書籍例である。
※編集部注・コーパス:新聞、雑誌、本などに書かれている言葉を集めたデータベース
本来の言い方である「押しも押されもせぬ」の例は、『日本国語大辞典(以下、日国)』によれば江戸時代から見られる。これに対して、「押しも押されぬ」は、『日国』では、織田作之助の小説『夫婦善哉』(1940年)の
「半年経たぬ内に押しも押されぬ店となった」
という例が最も古い。『日国』では、この例を根拠に、「押しも押されぬ」を子見出しとして立項しているのだが、この表現をどう考えるべきか何の判断も示していない。私は、まずい処理であったと反省している。
ところが、『明鏡国語辞典』には、「押しも押されぬ」はけっこう古くから使われているとして、菊池寛の例があると述べられている。だが、例文は引用されているのだが、残念なことに菊池寛の何という作品のものなのかは書かれていない。そこで調べてみると、『夫婦善哉』よりも古い1918年発表の『無名作家の日記』という作品からであることがわかった。
「押しも押されぬ」は、「押すに押されぬ」との混交表現だと言われている。「押すに押されぬ」は、どうしようもない事態であるとか、厳として存在する事実であるといった意味で、「押すに押されぬ事実」などと使う。そのため、国語辞典の多くは、「押しも押されぬ」は誤りであると注記しているし、NHKや新聞なども誤用だとしている。
古い例があるからといって正しいというわけではないのだが、多くの人が使っているとやがてはその言い方も認めざるを得なくなってしまうであろう。本来の言い方をちゃんと使い続けるということも必要なのかもしれない。