当時としても、こういう内容のインタビューが掲載されるというのは普通は有り得ないことであり、明文化されていないものの、当時の空気、サブカル色の強いミュージシャンとしての当時の氏の立ち位置からすれば、悪趣味/鬼畜系文化の影響のもとに起こったものであろうことは容易に想像することができます。『ロッキング・オン・ジャパン』でのインタビューはブーム以前ではありますが、根本敬氏は既に『因果鉄道の旅』を出版しており、その影響は94年の時点でコアなサブカル・ファンの間では大きいものだったのです。
2つのインタビューを比べると
そこで語られている内容が事実であるのかどうかは実際のところわかりません。ダウン症に関する発言が当時のテンプレ的なブラック・ジョークっぽい発言だったりすることから、実体験でない部分があったり(傍観者として見聞きしたり、読んだり聞いたりした他者の経験談からの引用など)、話を盛っていた可能性も考えられるのです。本音はどうあれ、偽悪的に振る舞うことが多かった人でもあります。編集者の方から取材を小山田氏サイドに申し込んだのですが返答がなく、これ以上の検証は不可能であるために、これ以上はインタビューの内容について、特に触れることはしません。
二つのインタビューを比べると同じ事例について微妙な違いがあるようにもとれるのですが、『ロッキング・オン・ジャパン』(現在どうなっているかはわかりませんが)に関して言えば、当時の同誌はインタビュー原稿の内容を掲載前にインタビュイーに確認をさせないという方針をとっていました。相違点が存在することの原因は、現場での小山田氏側の発言の詳細さや、原稿チェックによる内容の補完があったかどうかの違いによる可能性も考えられます。