たとえば、根本氏の著作に登場する極悪な異常者・内田は見世物として異常性を笑われる存在であって、読者に肯定的にとらえられる存在ではありません。「鬼畜系」の文脈で何かをしたいなら、根本氏の位置に小山田氏がおらず、内田の位置にいることになっているのは奇妙な話です。村崎氏(*1)は当事者としてゴミ漁りの話をしていますが、ゴミ漁りというのは直接的に接触するわけではないので、被害者というものがわかりにくいし、いじめに比べると生々しさはありません。青山氏(*2)に関しても、当時は紹介者のスタンスです。影響力の強かった人の中で明確な形で加害者の位置にいる表現をしている人はいなかったのです。
*1 村崎百郎 鬼畜系・電波系ライター。2010年没。
*2 青山正明 編集者、ライター。2001年没。
頭おかしすぎなんですよ、当時としても
特にひどく感じられるであろう行為に関しては、小山田氏が直接行ったわけではないように語られていますが、その部分がイメージを緩和したかというとそういうわけでもないのですから。
小山田氏にしろ、編集サイドにしろ、悪趣味/鬼畜系のスタンスを大きく勘違いしたうえで、その影響下で無意識に行動していたのかもしれません。『クイック・ジャパン』の記事に関してはテーマ的にそういう振る舞いをする必要もなかったのですから。変な話ですけど、ギリギリのところでモラルを守るというか、モラルを理解した上で(当時としては)ギリギリのところで遊ぶのが悪趣味/鬼畜系だったし、何度も書いてますが、実際に鬼畜行為に及ぶことを推奨していたわけではないのです。それを鬼畜行為の当事者として、著名なミュージシャンが反省もなく面白おかしく語るというのは、頭おかしすぎなんですよ、当時としても。普通に考えてリスク高すぎです。誰も彼もが時代の空気に浮かれていたとしか思えないし、そもそも流行りに乗っかってみただけで、何もわかってなかったんだと思います。
雑誌というのは基本的には買われなければ読まれません。立ち読みとか図書館もありますが、それも興味を最初から持っているから手に取るわけで、偶然に読んでしまうことはなかなかないでしょう。しかも、両誌ともジャンルマガジンであり読者層が限定されていたのです。
たとえ、問題に思った読者がいても、当時はネットがありません。ハガキや電話で抗議するか、街頭で演説したり、道行く人に署名を呼び掛けるしかないのです。どれも精神的なハードルが高いですし、拡散力は低いです。踏み切る覚悟も大変だし、労力も半端ではありません。だから、当時は拡がりを見せなかったわけです。