だが、札幌はあくまでも個性的だ。京都はご存知平安の都だし、大阪も名古屋も城下町として近世以来の町割を引き継ぐ。だから京都は御所が、大阪や名古屋はそれぞれのお城が中心にそびえる。
ところが、札幌が都市としての歩みをはじめたのは明治になってからである。そして札幌駅は北海道の開拓が緒についたばかりの1880年に開業している。札幌の町は、札幌駅を中心として広がった近代型のグリッド都市なのだ。
1880年、札幌駅開業
ここで札幌駅の歴史を紐解いていこう。札幌駅は1880年11月28日、官営幌内鉄道の駅として仮開業している。官営幌内鉄道は、小樽の港に直結する手宮駅から札幌・江別・岩見沢を経て夕張山地に分け入った山間部の幌内までを結んでいた。開業の目的は、幌内の石炭を港まで運ぶため。つまり北海道の鉄道は、人ではなくて石炭輸送を最大の役割として誕生したのである。
この幌内の炭鉱から港までのルートには他の案もあったという。それは、室蘭の港までのルート。というのも、小樽の港は冬場には凍結してしまうこと、そして札幌から小樽まで抜けるところには山が海岸線まで迫る難所があったことがある。ただ、室蘭ルートも距離が長すぎて建設コストが膨大になる。そこで、幌内から幌内太(のちの三笠)まで鉄路を敷いて、そこからは舟運を用いようという計画が優勢になったこともあるという。
情勢を変えた一人のアメリカ人
裏を返せば、室蘭ルートや舟運接続のルートになっていたら、今の札幌の大ターミナルと大都市・札幌は生まれていなかったということになる。一時期は札幌に駅ができない可能性もあった中で、情勢を一変させたのはアメリカから招聘されたクロフォードという技師であった。
クロフォードは1879年に北海道にやってきて現地を視察。舟運ルートでは利便性に欠くのでできれば線路を小樽港まで引っ張るべきだと主張した。そうこうしているうちに、小樽港も不凍港となっていたし、実際に調査をしてみると難所の鉄道建設も意外になんとかなることがわかった。そうして札幌を経由する官営幌内鉄道が開業する。北海道では初、国内でも3番目の鉄道であった。