軽井沢で暮らして四半世紀あまり。小池真理子さんは最近、庭の木の野鳥の巣箱を取り払った。毎年必ずシジュウカラが営巣するが、時々、蛇がやって来て、卵や雛を呑み込んでしまう。
「助けてあげたいけれど、人間が一度でも手を触れると、空のどこかで親鳥が見ていて、雛を顧みなくなってしまうんです。蛇に食べられるのも自然の摂理、といえなくもないけれど、見届ける立場としてはいたたまれなくなってしまって」
新刊エッセイ集『感傷的な午後の珈琲』中の一篇には、ある年、難を逃れて生き残った1羽の雛に親鳥がせっせと餌を運び続け、やがて巣立たせるさまが描かれる。2006年から12年近くにわたり発表されてきた文章のそこここに、野生動物、冷えた空気、柔らかい日差しなど、著者を取り巻く軽井沢の自然が覗く。
「チャイコフスキーのピアノ小品『感傷的なワルツ』が好きで、今回の題名に『感傷的』という言葉を入れた理由の1つです。ここにも書きましたが、私は感傷的な人間で、かつロマンチスト。一篇一篇読みかえしながら、あらためてそのことを自覚しました」
高校時代を過ごした仙台が東日本大震災で被災した直後の寄稿、暖炉火災で自宅が全焼し、家を新築したこと、パーキンソン病を患いながら亡くなった父親と父をモデルにした小説『沈黙のひと』について、晩年に認知症の兆候があらわれ、介護施設で過ごしていた母親の話等、この10年余りの身辺の変化が刻まれた。渡辺淳一さん、坂東眞砂子さん他親交のあった作家を悼む文章も並ぶ。近所で1人暮らしの元大学教授が死後発見されたことに触れ、こういう死が「孤独死」「社会問題」等と語られがちな風潮に疑問を呈する。
――日の光をふんだんに浴びながら、鳥の声に包まれて事切れた人の心までをも、一括りにはできないだろう。彼の心は誰にもわからない。わからなくていいのだと思う。(「生と死の営み」)
「身近な人を何人も見送り、自身も高齢者と呼ばれる年齢になりました。健康なまま年を重ねるのか、いつか病を得るのか。分らないけれど、過ぎ去った時間を楽しく思い出しながら生きていきたいんです。もう、時々“思い出し作業”をやっていて、結構楽しいの(笑)」
毎朝晩自分で作る料理が一番好きで、置物のウサギの帽子を愛猫の抜け毛でこしらえる。強靱な作家精神と素朴な日常の営み、その両方をうかがい知ることの出来る一冊だ。
『感傷的な午後の珈琲』
「生と性、そして死について」など、テーマ別全五章のエッセイ集。「書くことの神秘」の章ではデビューエッセイ『知的悪女のすすめ』が激しいバッシングを受けたことに触れる。「この経験で、自分の発信が万人に好意的に受け入れられることはあり得ず、しかし必ず一握り、賛同してくれる読者がいる事も学んだのです」。