《現役最後のマラソン》大迫傑が日誌に綴った東京五輪への“思い”「僕たちアスリートは可哀想ですか?」

『決戦前のランニングノート』より#2

大迫 傑 大迫 傑
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「僕たちアスリートは可哀想ですか?」

 マラソンのスタートラインには、ゴールとは違う達成感があります。日々の葛藤と闘いながら取り組んできたハードな練習、色々なものを我慢した時間、そういうさまざまなことが胸をよぎります。あとは42.195kmを走れば終わる。そんな開き直ったような気持ちになるんです。自国開催のオリンピックですから、自分のスタンスとしてはやっぱりドキドキはしています。だけど、やれることをやるしかないなと開き直った気分なのも正直なところです。

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 コロナ禍でのオリンピックがどんなものになるかは分からないし、どんな結果になるのかも分かりません。もしかしたら開催されないかもしれない。だけど、もし開催されなかったら、僕たちアスリートは可哀想ですか? 僕はそうは思いません。

 東京オリンピックに向けて、積み重ねてきた過程にぜひ目を向けてください。アスリートそれぞれが葛藤を持つなかで、みんな自分なりのドラマとゴールを見つけて、自分なりの価値観を持って取り組み、突き進んできた。

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 もちろん何事もなく、東京オリンピックが開催されることが一番良いシナリオです。でも開催されなかったとしても、マラソンならアボット・ワールドマラソンメジャーズのように世界と戦える大会、オプションはいくらでもあるのです。

 オリンピックがなくなったからといって、僕たちが努力をしてきた過程はゼロになるわけではありません。それぞれのアスリートが、オリンピックとは別のドラマとゴールを見つけて、進めばいいと思っています。

 日本代表に決まってから15カ月。日誌を読み返してみれば、新型コロナウイルスの影響で足踏みをしたり、変更を余儀なくされたり、立ち止まりたくなることもあった日々が思い出されます。それでも立ち向かい進んできたことが、それぞれのアスリートの価値であると僕は思っています。

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 あと1カ月。僕らができるのはどんな状況になろうとも自分を信じて進むということだけ。オリンピックの先も僕らのドラマは続いていくのですから。