1ページ目から読む
2/3ページ目

 当初はアングラなエロやサブカルチャー記事が中心だったが、次第にアイドルなどのプライベートショットも扱うようになり、90年代に入ると、素人が撮影した投稿写真がひとつのブームのようになっていく。

中條かな子。撮影月/1991年8月、撮影場所/ニッポン放送。この頃はまだ女子高生だったグラビアアイドルの中條かな子。後に広島カープの前監督・緒方孝市の妻に。 

「ずっとやってきた身としては、ブームで追っかける人が増えすぎて、もう撮れなくなるんじゃないかって心配でしたが、まだこの頃は大丈夫でしたね。たとえば公開放送なんかでも、有名タレントは車で帰りますけど、新人はマネージャーさんもついてない子が多くて、みんな普通に歩いて帰ってましたから。デビューしてすぐのSMAPも普通に山手線に乗ってましたよ」

山本リンダ。撮影月/1991年12月、撮影場所/六本木。この写真の2年後にヘアヌード写真集を発売して話題に。 

キムタクのマネージャーに連れていかれた

 それでも、現場でのトラブルは目に見えて増えていった。

ADVERTISEMENT

「自分の場合はサインも欲しかったので、まず声をかけて、ダメなときはダメって言われるだけで大きなトラブルはなかったんです。ただ、写真がメインの仲間はよくモメてましたね。たとえばジャニーズだと、少年隊や光GENJIくらいまでは普通に大丈夫だったのが、SMAPがブレイクしたあたりからは厳しくなってきた。

 ある時、木村拓哉が文化放送から出てきて自分の車に乗ろうとしていたところに、仲間が後ろから声をかけて、振り向いた瞬間にバシャッと撮ったんです。本人は嫌な顔をしただけでしたが、すぐマネージャーが出てきて、『なに勝手に撮ってるんだ!』ってどこかに連れていかれちゃった。

紺野美沙子。撮影月/1991年11月、撮影場所/六本木。すでに大物タレントだった紺野美沙子。撮影を頼んだら優しい対応だった。

 当時はまだフィルムカメラだったので、たいてい『今撮ったフィルムを出せ』とか言われるんだけど、そこは『いや、あそこの風景を撮ってただけです』とか、『フィルムは出してもいいけど、他のアイドルの写真も撮ってるんだから、その分は補償してくれるのか』とかあの手この手でネバったらしく……とにかく事務所とモメた仲間が、カメラからフィルムを抜かれる光景は何度も見ましたよ」