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戦艦大和をどうするか

 軍艦をほとんど失っている海軍もまた、敵の骨を断つべく、できるかぎりの総力をあげて天号作戦を実施しました。すなわち4月6日の天一号作戦を皮切りに、動ける攻撃機を結集しての特攻に総力をあげたのです。

 このとき問題となったのは、まだ戦闘力をわずかに保持して瀬戸内海にその巨大な姿を浮かべている戦艦大和をどうするか、でありました。

※写真はイメージです ©iStock.com

 大艦巨砲の戦いではなく、制空権の奪い合いの戦いとなっている太平洋戦争では、巨大戦艦の使い道はもはやほとんどありません。といって、このまま降伏して、戦利品としてアメリカにとられて、ハワイ沖に浮かぶ戦勝記念館などの見世物になった、なんていうことは、海軍にとっては、耐え難い屈辱以外のなにものでもありません。

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 さりとて、水上部隊最後の決戦として、航空特攻作戦の成否にかかわらず、沖縄への突入戦を強行すれば、目的地到達前に壊滅するのは決定的です。

 いちばん強かった案としては、本土決戦に備えて陸上に押しあげて、でかい大砲を敵の上陸船団目がけてボカンボカンと撃って終末を飾ろう、というものであったと思います。それが最高の使い道ではないかと。

 海軍中央部では大激論がかわされました。が、結局は、及川古志郎軍令部総長が天号作戦について昭和天皇に奏上したさいに、天皇が質問しました。

「航空部隊だけの総攻撃なるや」

 これにたいして、

「海軍の全兵力を使用いたします」

 と、及川が答えたことが万事を決定してしまいました。戦艦大和の運命はここに定まったのです。

 連合艦隊参謀長草鹿龍之介中将が、このことを徳山沖に在泊していた大和に赴いて、大和を中心とする第二艦隊司令部に説明したのが4月6日早朝のこと。第二艦隊司令長官伊藤整一中将は、この無駄な作戦をなかなか承諾しなかったといいます。

 昭和35年(1960)冬、草鹿さんはわたくしの取材に答えてくれました。伊藤長官はこういったといいます。

「いったいこの作戦にどういう目的があるのか。また、成功の見通しを連合艦隊はどう考えているのか。成功の算なき無謀としかいえない作戦に、それを承知で7000の部下を犬死させるわけにはいかない、それが小官の本意である」

 草鹿は黙って聞いていましたが、やがてポツリといったといいます。