「バカもん。なにをアホなことを考えているんだ」
もし日本が降伏するようなことになったら、連合軍がやってきて、女たちはみんな凌辱され、男たちは全員が奴隷にされる。お前たちは南の島かカリフォルニアへ連れていかれ、死ぬまで重労働させられるのだ、いいか、わかったか、と。それをわたくしたちは本気で信じていました。
これなんかも、タブロイド判「沖縄民報」の記事に勝るとも劣らないフェイクニュースであったと思います。
日本の敗戦が決定した8月15日の夜、工場から家に帰ったわたくしはかなり意気消沈していました。祖国敗亡がしみじみ悲しく思え、どこかさっぱりした顔をしている父にこう聞いたのを覚えています。日本人の男は全員、カリフォルニアかハワイに送られて一生奴隷に、女は鬼畜のアメ公の妾にされるんだよね、と。
わが父は一喝しました。
「バカもん。なにをアホなことを考えているんだ。日本人を全員カリフォルニアに引っぱっていくのに、いったいどれだけの船がいると思っているのかッ。そんな船はアメリカにだってない!」
「日本人の女を全員アメリカ人の妾にしたら、アメリカ本国の女たちはどうするんだ。納得するはずがないじゃないか。馬鹿野郎ッ」
このオヤジどのの言葉に、わたくしは目が覚めたのを、いまもよく覚えています。
少々脱線しました。戦争末期に、いかに流言飛語が日本人の行動に大きな影響を与えたか、これでおわかりいただけるでしょう。
さて、元へ戻って、6月19日午前1時、ひめゆり部隊の女学生たちの、月明下の脱出がはじまりました。
「先生、行きます」
「気をつけて行けよ」
あとにつづくのは米軍の砲弾の炸裂音と、幾筋もの赤い火箭でありました。米軍は闇に動くのが女学生とはつゆ知らなかったのです。壕は次第に空間を多くしていき、底知れぬ闇のなかにいつか静まっていきました。
その後のことは、ひめゆり部隊の記録が伝えています。戦死百余名、生き残ったもの60余名と。沖縄の戦いの県民の悲惨とは、いわば共通してこのようなものでありました。