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「日本代表のユニフォームを着ることはないと思っていた」

 女子バレーの歴史を見ても、メダルを獲った五輪には中田や竹下佳江という卓越したセッターがいた。だが、竹下が13年に引退すると日本は組織的なコンビバレーができなくなり、高さとパワーにひれ伏すしかなかった。

 中田体制になった17年以降、毎年のようにセッターが替わったが、中田が求める速いトス回しで複雑なコンビバレーを展開できるセッターが現れなかった。そしてコロナ禍で五輪が1年延びた今シーズン、籾井が彗星のように現れたのだ。

 だが籾井は、ジュニアのころから国際大会を経験しているほかのメンバーと違い、代表のユニフォームを一度も着たことがない。理由は国籍の問題だった。父がペルーとスペインのハーフ、母が日本人とペルーのハーフで国籍はペルーだった。籾井がいう。

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高校時代の籾井あき ©aflo

「日本代表のユニフォームを着ることはないと思っていましたけど、八王子実践高校のチームメイトたちがジュニアの大会などに出場するのを見て、私も着たいなって。それで高校の先生などに相談し日本国籍を取ることを決断しました」

 日本生まれ日本育ちだが、国籍を取得するまでに3年かかったという。

「ほとんどの親戚がペルーにいるので、手続きがとても大変だった。でも、協力してくれた人たちのためにも、日本代表のユニフォームで活躍する姿を見せたい」

 JTマーヴェラスに所属すると、いきなり正セッターとして活躍し、2年連続でJTをリーグ優勝に導いた。中田は、19年末に日本国籍を取得した籾井に目をつけ、今年から日本代表入りさせた。そしていきなり潜在能力の高さに気づかされた。中田が嬉しそうに語る。