開会式直前の関係者“辞任ドミノ”に始まり、メダル候補のまさかの敗戦やダークホースによる下馬評を覆しての戴冠劇、コロナ禍で開催され、明暗含めて多くの話題を呼んだ東京オリンピック。ついにその長い戦いも閉幕しました。そこで、オリンピック期間中(7月23日~8月8日)の掲載記事の中から、文春オンラインで反響の大きかった記事を再公開します。(初公開日 2021年8月8日)。
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0―3。 強豪セルビアの壁は厚かった。 韓国女子バレーは4位という結果に終わった。
1976年モントリオールオリンピックで銅メダルを獲って以来、メダルから遠ざかり、2012年ロンドンオリンピックでは日本に負け、銅メダルを逸していた。悲願のメダル獲得にはならなかったが、韓国では女子バレーの健闘を称える声が止まない。
東京オリンピック前、韓国女子バレーの世界ランキングは14位。韓国では絶対的エースであるキム・ヨンギョン選手最後のオリンピックとあって注目を集めてはいたものの、並み居る強豪を前にメダルへの期待はほとんどなかった。
それが、ドミニカ共和国(6位)、日本(5位)を打ち破り、さらにトルコ(4位、いずれも東京オリンピック前の世界ランキング)にも勝利すると、女子バレーフィーバー、そしてキム・ヨンギョンフィーバーが巻き起こった。
下馬評にも上がらなかった韓国女子バレーの強さは、「ワンチーム(チームがひとつになるチームワークのこと)の強さ」と言われた。そして、その中心にいたのがキム選手だった。
「大丈夫、大丈夫。私が解決するから。いくよ」
「ヨンギョンオンニ(オンニは女性から見て実姉や年上の親しい女性のことをいう韓国語)最後のオリンピックなので、やれる、できると(チームの)雰囲気がずっとよかった」(ノーカットニュース、8月4日)
レフトWS(ウイングスパイカー)のパク・ジョンア選手はベスト4を決めたトルコ戦の後、こんな言葉を漏らした。そのトルコ戦では、かねてからレシーブの弱さを指摘されていたパク選手に相手のサーブやアタックが集中すると、キム選手はこう言ったという。
「大丈夫、大丈夫。ともかく上げて。私が解決するから。いくよ」(中央日報、8月5日)
パク選手はこの試合でキム選手に次ぐ得点を上げている(キム選手28点、パク選手16点)。
選手として最後のオリンピックになると話していたキム選手。先にバレーボールを始めていた姉の練習を手伝ったことをきっかけに小学生からバレーボールを始め、今大会で共に戦ったMB(ミドルブロッカー)キム・スジ選手とはその頃から20年来の親友だ。小学生の時はキム・スジ選手のほうが背が高くエースだったという。
140センチもなかったキム・ヨンギョン選手にバレーボールを続けさせることを、両親はためらったと当時の監督が語っている。