それでも折衷案を取らざるをえなかったのには、こんな一言の凄みがあった。
これは電話でのやり取りである。
なぜか住所を知っている……
「草下さん、うちら、ご近所なんだし、お互いのことを大事にしたほうがいいと思うんですよ」
言葉の意味が理解できなかった。草下シンヤというのは私のペンネームであり、彼には住所はおろか本名も明かしていないのだ。
「近所というのはどういうことですか?」
「おたく○○3丁目でしょ。私、2丁目だから」
私は受話器を握り締めたまま凍りついたようになった。彼が口にしたのはまさに私の住所そのものだった。
――なぜ知っているんだ? 教えてなどいないのに。
私が絶句していると、彼は続けて言った。
「じゃあ、すいませんけど、お願いしましたよ」
こう答えるしかなかった。
「分かりました」
急いで原稿を書き直し、印刷に間に合わせることはできたが、不本意な内容が掲載されることになった。しかし彼の言葉から伝わってきたどす黒いモヤのような不気味さの前に抗うことはできなかった。まさにしてやられたというところだろう。
それにしても、どうやって彼は私の住所を知ったのだろう。実際に彼が隣町に住んでいてすれ違ったことがあるとは考えられないし、記憶をたぐってみたが住所を特定される会話をした覚えはなかった。
私は取材内容ゆえに、裏社会の住人に接する機会が多い。時には殺伐とした取材が行われることもあるし、トラブルに巻き込まれたことも一度や二度ではない。
これを突き止めなければ今後の取材活動にも影響してくると思った。
交渉とは情報戦争である
前著の発売後、再び間淵氏にインタビューの要請を行った。
断られるかもしれないと思っていたが、意外にも彼は快諾してくれた。
私は単刀直入に尋ねた。
「なぜ、私の住所が分かったんですか?」
「あのときはムリ言って悪かったね」
そう言って話してくれた手法は実に簡単なものだった。
取材に応じた段階で、彼はこんな動きをしていた。
雨の日を見計らって、彼の部下が私の携帯電話を鳴らす。
「△△急便の者ですが、えーとですね、□□社(出版社名)からのお届けものがありまして、今から向かおうと思っているのですが、住所欄が雨でにじんでいまして、ほとんど読めなくなっているんですよ」