山地はこの店で03年10月下旬から04年4月まで働き、4月下旬に自分の調書を読みたいと内山さんの事務所を訪れた。その際には「これから同じ(パチンコ店)系列の別の店で働く」と説明していた。
手紙や発言にはいくつかの“脚色”が
しかし、私が姉妹殺人事件を受けて下関市のパチンコ店を取材したところ、彼の手紙や発言にはいくつかの“脚色”があったことが明らかになった。同店の店員は話す。
「山地にそういう(殺人の)過去があるとはまったく知りませんでした。どちらかといえばおとなしいタイプで、面接のときに、現在は下関市内で伯父と住んでいるため、できればそこを出て寮に入りたいということで、社員寮に入りました。彼の仕事ぶりに関しては、とくに印象に残っていません。可も無く不可も無くという感じでしょうか。口数が少なく、自分から自主的に動くタイプではありませんでした。友人もほとんどいないようで、店の同僚と仕事の後に食事に行ったり、飲みに行ったりとかはなかった」
この店員によれば、系列店への異動ということはなく、山地は自分から店を辞め、別のパチンコ店に職を求めたという。
『バラすぞ』と脅され顔面蒼白
じつは山地が最初のパチンコ店を辞める少し前、彼の“もっとも恐れていたこと”が起きていた。同じ少年院にいた男と偶然、下関市内で会ってしまったのである。暴力団員と連れ立つその男は、山地のことを前から気に食わないと感じており、殴る蹴るの暴行を加えたうえ、以後、職場にも顔を出しては脅すようになった。店員は続ける。
「彼の同僚が話してたんですが、知り合いらしい2人組の若い男がちょくちょく店に来ていたようです。2人は山地に対して、何についてかはわかりませんが、『バラすぞ』と脅す口調で詰め寄り、その言葉を聞いた彼の顔面は蒼白になっていたそうです。男たちは山地が辞める直前は、とくに頻繁に顔を見せるようになっていました」
山地がこの2人に、過去の殺人を職場でバラすと脅されていた可能性は高い。そのことが影響してか、退店から05年1月までの9カ月間に、下関市内で2軒のパチンコ店に勤めては辞めるを繰り返した。そこで山地は、テキ屋の西田さんの仕事を手伝いながら、彼が家族と暮らすアパートで世話になることになった。