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コロナ禍でススキノの風俗店従業員が受けた影響は…

――辞めた人のその後は?

「ソープに行ったり、デリヘルに行ったみたいですね。それでもお客さんがついていなかった人なので、風俗では厳しいのかなと思います。女性の家の家計を詳しく見ているわけではないですが、ほとんどの人が売り上げが減って大変なんですけど、うちの店は年齢層が高めなので、ご主人がいて昼のパート感覚で働いている方も少なくないんです。それなので、風俗だけで生きている女性よりは切羽詰まってないかもしれません」

ススキノのシンボルでもあるニッカビル ©八木澤高明

 女性だけでなく、吉沢さんたち従業員たちはどのような影響を受けたのかも気になった。

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「出勤が毎日ではなく、自宅待機が増えてしまいました。固定給はコロナ前と変わらず保証されているんですけど、ボーナスが、年2回満額出ていたんですけど、半分以下になってしまって、かなり減らされましたね。それでもまだ従業員は社員なので、女の子よりはましです」

――言いにくいかもしれませんが、給料はいくらですか?

「風俗の仕事が減った分、バイク屋でバイトをしたり、オークションで売ったりしているので、年収は600万ぐらいです。コロナ前とほぼ同じです」

――ご家族は?

「嫁と子供が3人います。嫁はススキノのキャバクラで働いていたんです。今では専業主婦をしています」

「千歳の陸上自衛隊で戦車に乗っていました」

 プライベートについても語ってくれたこともあり、吉沢さんが風俗業界に入るまでの人生についても興味が湧いた。

「高校を卒業してからは、まず自衛隊に入ったんですよ。兄貴も自衛官で、その生活ぶりを見ていて、安定しているなと思ったんです。千歳の陸上自衛隊で戦車に乗っていました」

 思わぬ経歴に驚いたが、どっしりと落ち着いた雰囲気というのは、自衛隊という時と場合によっては命を投げ出さないといけない環境にいたことによって培われたのかなと思った。

「九十式戦車に乗っていたんです。夏は暑くて、冬は寒いですから、内部にいるのは大変なんですけど、仕事ですからきついと思ったことはなかったですね」

コロナ後のススキノは人通りもまばらだ ©八木澤高明

――辞めた理由は?

「2年いたんですけど、ご存知かもしれないですけど、身なりにはうるさい場所なんです。自衛隊に入る前からタトゥーが入っていて、もちろんそんなのは禁止なので、ずっと隠していたんです。それを隠し続けていくのが面倒くさくなって辞めることにしたんです」

――その後はどうされたんですか?

「札幌に出て、理容店で働きはじめました。街を自由に歩いたり、飲みに行ったり、自衛隊の時には感じられなかった解放感は最高でした。200万円ぐらい貯めた頃に、友人がホストをやっていたので、自分もやってみることにしたんです。いろんな仕事をやってみたいなという思いが強かったですね」