昨年7月、新型コロナウイルスの猛威が日本中に知れ渡った頃のこと。日本の繁華街の中でも早々にクラスターが発生したのが、札幌・ススキノだった。現地では「キャバクラ」と呼称されるセクシーパブでの出来事だった。客ひとりを含む12人が感染し、そのほか多数の濃厚接触者にも感染の疑いがもたれるなど、大きな話題となった。

 先日閉幕した東京五輪では、マラソン競技も行われた札幌。その夜の街では、コロナ禍の1年間で何が起きていたのか。『娼婦たちから見た日本』(角川文庫)、『青線 売春の記憶を刻む旅』(集英社文庫)の著作で知られるノンフィクション作家・八木澤高明氏が現地を歩いた。(全3回の1回目/#2#3を読む)

ススキノのシンボルでもあるニッカビル ©八木澤高明

◆◆◆

ADVERTISEMENT

中国人の観光客だらけだった札幌の繁華街ススキノは...

 出発ロビーがいつも以上に広々として見えた。

 視界に入る人の数は、10人にも満たない。この場所が、幾度となく足を運んできた成田空港だろうか。航空機の便名と行き先が記されるはずの電光掲示板は黒く沈んだままで、唯一目に入るのは、何をしているのかわからないが、カウンターで手持ち無沙汰気に立っているオペレーターだけだった。

 かつての姿を思い出してみる。チケットカウンターには、多くの人が並び、危うく飛行機に乗り遅れそうになったこともあった。そうした光景が遠い昔のように思えて、何とも寂しい気になった。やきもきしながら順番を待ったカウンターには、誰も並んでいない。人っ子ひとりいない。

 新型コロナウイルスの流行というのは、感染に対する恐怖心だけでなく、じわじわとボディブローのように日常の光景を消していき、心にダメージを与えてくるものだなと強く感じた。

 これから、私は札幌に向かおうとしていた。

 全国に先駆けて、バーでのクラスターが発生し、独自の緊急事態宣言が出されるなど、新型コロナウイルスの脅威にひと足早く晒された北海道。その中でも注目されたのが、札幌の繁華街ススキノだった。

 2020年1月、中国の武漢で正体不明のウイルスが流行しているというニュースが流れはじめた頃、私は札幌を取材で訪れていた。宿はススキノにあるシティホテルに取ったのだが、ホテルのバイキング、ススキノ周辺の街中は中国人の観光客だらけで、中国語が飛び交っていた。街を歩きながら、大げさな話ではなく、中国語ばかりが聞こえてくるので、中国の地方都市を歩いているような気分になったのだった。

コロナ前、2020年の狸小路には多くの人の姿が ©八木澤高明 

 2021年1月、1年ぶりに訪れた札幌の姿は同じ街とは思えないほど変貌していた。