何に出てもギャラは1、2万だった
益若 何に出てもギャラは1、2万でしたけど、私たちが出ることでとてつもないお金が動いている、私たちを使ってお金を稼いでる大人がいることにだんだんと気づいて(笑)。当時を振り返ると、めちゃくちゃ搾取されていたと思います。
それに、渋谷を歩くと警察が来るほど人が押し寄せてしまうし、イベントでも来場者が多すぎて窓ガラスが割れるとか、自分が外に出ると迷惑がかかることが増えていきました。それまではずっと「頑張れ」って周りから言われたから頑張ってたのに、人気が過熱気味になると、「つばさが出てくるとトラブルになるから家を出るな」と言われてしまって。「自分って一体何なんだろう?」と迷っていた頃に妊娠がわかったんです。そこでもう、すっぱり辞めようと思ったのは、やりきった感もあったからでした。
応援されなかったからこそ「絶対売れてやる」
――そんな大変なことがありつつも、時代の寵児になっていく益若さんをご家族はどんな風に見ていたのでしょうか。
益若 全然、喜んでいる感じではなくて(笑)。家族はまったく私の活動や仕事に興味ないんじゃないかな。実家は埼玉県の越谷市にあるんですけど、撮影の時は両親のどちらかが朝5時に駅まで送ってくれたんです。それでキャリーケースをガラガラ引いて渋谷まで行って、帰りはいつも終電。そんな私の過酷な生活を見ていたので、親はいつも心配して「早くやめなよ」と言っていました。全然応援されてなかったので、それが逆に「絶対売れてやる……!」という思いにつながっていたと思います。
たぶん親は、私が何をやっていても構わないんです。幼少期から「あれはダメ、これはダメ」と言われたことはありません。言わなくても私がレールから外れる子じゃないことをわかっていたんだと思います。非行にも走らないし、反抗期もなかったので。ただとにかくファッションが好きだったので、それを応援するでも否定するでもなく、受け止めてくれていた。今思えば、そうやって干渉せずに放っておいてくれたことはありがたかったですね。
でもお父さんは、私が『世界まる見え!テレビ特捜部』とか『笑ってコラえて!』(いずれも日本テレビ系)に出ると見てくれるんです。たぶん所ジョージさんが好きなのかなと(笑)。だからお父さんが好きな番組には率先して出させてもらいたいなと思ってます。
写真=深野未季/文藝春秋
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