ただ弱い、だけならまだマシなのだ。そんなことまで考える夏が来るなんて、とても想像できなかった。

 パ・リーグ最下位の日本ハムを取り巻く状況はとても重苦しい。8月11日、中田が同僚への暴力というあり得ない行為で、球団から出場停止処分を受けた。そしてわずか9日後の20日、巨人への無償トレードという形で球団を去った。時を同じくして、ネット上では円陣の声出しを務めた万波中正に対して、差別的な言葉を吐いた選手がいるとの記事が飛び交い炎上した。こちらも言語道断だ。

 2つの事件について、球団は31日に社長名義の「ファンの皆様へ」という文書を発表した。ただこれを読んでも、フロントは真相を何も説明していないに等しい。中田についてはGMの前で涙を流して謝罪し、栗山監督が自ら巨人・原監督に移籍の話をつけたとの報道があったが、いずれも巨人発の情報だ。我々の感情はおいて行かれっぱなしで、球団やチームに疑念を抱いてしまう状況はひたすら苦しく、寂しい。それでもファンがチームと縁を切るのは、そう簡単なことではない。無償……どころかお金を払っている愛なのだが、それほど深いのだ。

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投手へ真っ先に駆け寄ったのは、合流間もない佐藤だった

 何とか前を向こうとすれば、久々に貯金生活でシーズン中盤を迎えた2軍を見るしかない。鎌ケ谷に足を運んだのは8月17日。初めてオリックスとの交流戦が行われた日だった。スタメンには西武から移籍してきたばかりの佐藤龍世内野手が「5番・二塁」で、木村文紀外野手が「3番・右翼」で名を連ねた。4番の清宮幸太郎を移籍組で挟んだ。2人はこれが移籍後初出場だ。そしていきなりいい味を出してくれた。

 4回、クリーンアップの3連打で点を奪ったのはもちろん頼もしい。が、それより心を奪われたのは2回だ。先発の生田目翼は走者一、三塁から投球モーションに入ったものの、水を含んだマウンドに足を滑らせたのか転倒。ボークとなり先制点を許してしまった。ここは間を取るべきところだなと思ってグラウンドを見ていると、投手へ真っ先に駆け寄ったのは、合流間もない佐藤だった。

佐藤龍世

 ここ数年、日本ハム1軍の試合を見る機会があるといつも気になっていた。明らかに投手が苦しい場面で、マウンドに声をかけに行く選手が少ないのだ。かつて、一塁にコンバートされた後の高橋信二は「捕手がマウンドに行ける回数は決められているけど、野手にはない。だから率先して声をかけるんです」と言っていた。いかにも元捕手らしい心配りだと思ったし、よくマウンドに行くのは田中賢介も同じだった。いつからだろう。野手が急速に若返ったこともあってか、チームで戦おうとする姿が見えなくなっていた気がするのだ。

 8月12日に発表された西武とのトレードに、佐藤……いや、龍世の名前があったのは少々意外だった。彼がプロ入り以来本職としてきたのは三塁。日本ハムはこのポジションで、野村佑希を大きく羽ばたかせなければならないからだ。2018年の春先、当時岩手・富士大4年だった龍世が遊撃守備に取り組んでいると聞き、驚いた覚えがある。確かに「打力は魅力。二遊間ができるなら評価は上がるよな……」と言っていたスカウトがいた。そして今年、西武では二塁守備をこなしていた。日本ハムは龍世が二塁を守れると踏んで獲得に動いたのだろう。鎌ケ谷の試合でも、一、二塁間を抜けようかというゴロにしぶとく最後まで足を動かして食らいつき、アウトを奪っていた。つまり、今季壁にぶち当たっている渡邉への刺客なのだ。

 龍世は道東の厚岸町生まれ。カキ……と言っても新垣勇人・元投手ではなく、牡蠣の名産地だ。漁師町で育った佐藤は、野球での大成を志して札幌の北海高に進むが、甲子園出場を果たせなかった。最後の夏は札幌支部予選で札幌南高に敗れ、号泣した。

 特筆すべきは、小学校までスピードスケートとの“二刀流”をこなしていたこと。いかにも北海道らしいアスリートなのだ。父方のいとこには、平昌五輪の女子パシュートで金メダルを獲った佐藤綾乃選手がいるのだから、血筋は確か。現在富士大4年の弟・大雅も、中学校までスケートとの二刀流だった。大雅は先に述べた、高校最後の試合で龍世が流した涙を見て野球一本に絞り、北海高の捕手として2016年の甲子園準優勝に貢献したという逸話もある。余談だが、杉浦稔大投手は中学時代までガチでアイスホッケーをやっていた。人口が減り続けている北海道で、いくつものスポーツを掛け持ちしながら、自分に合ったものを選ぶスタイルは今後の標準になっていくだろう。日本ハムは彼らの経験をもっと発信すべきだといつも思う。