次女が3歳になった。
生まれた時から長女という比較する相手が存在していたので、いつまでも小さいままのような気がしていたが、もう立派な幼児である。
親がいなければ何もできなかった赤子から、「自分でやるの!」と少しずつ自立の道を歩み始めた。子は3歳までに一生分の親孝行をするといわれるが、3歳は子育ての一つの区切りだと、個人的にも感じる。この3年は何にも代え難い幸せな時間だった。前回は出産に関する大変なことをテーマにしたが、比較できない幸せというものも、確かにある。
来年には長女は小学校に、次女は幼稚園に通うことになる。
家族で一緒に夏休みを全力で楽しめるのは、もしかしたら今年が最後だったかもしれない。
少し寂しいけれど、これからも長女とともに健やかに育っていってくれることを願うばかりだ。
私はここからまだ強くなれるのだろうか?
棋士における全盛期とは、いつだろう。
選手寿命が長いとされている棋士・女流棋士だが、活躍できる(しやすい)時期は、選手寿命ほどは長くない。
10代から20代前半の頃は上ばかりを見ていて、自分にとっての山の頂のあとなんて想像すらしなかった。負けてもまた次のチャンスがやってくると思っていた。
30代に入り、子育てで一度足を止めて現在地を見ると、途端に怖くなった。私はここからまだ強くなれるのだろうか? もしかしたら、このまま山を下っていくだけになるのではないだろうか。
将棋は年齢と共に、その人が持つ強みが変化する
育児をしているとただでさえ、将棋から離れてしまう。
対局の内容も悪くなっていた時、強い不安感からお世話になっている先輩棋士に「何歳まで強くなれますか」と聞いたことがある。その答えは人それぞれ違うのはわかっているから、本来はその質問に意味はない。ただ、安心したかったのだと思う。
強い者が勝ち、弱い者が負ける世界で、自分があとどれだけ強くなれる可能性を持っているかを考えるのは、なかなかにシビアだ。「ここからは強くなれない」と神様に線引きされたら、女流棋士としてそこからどう生きていけばいいのか、私はまだわからない。
将棋は年齢と共に、その人が持つ強みが変化する。
20代中盤あたりまでは気力・体力ともに充実していて、盤にのめり込むように集中できる。何時間でも手を読めるような感覚を、私も持っていた。
一方で経験値は1から積み重ねていくことになる。
同じ将棋を指していると言っても、修業時代とは雰囲気や持ち時間など、変わることも多い。