家族だからこそ話さないことってありますよね
――本作の主な視点人物は千歳さんですが、他にもかつてこの団地で撮影ロケを行った俳優だったり、一俊の幼い頃だったり、他にもさまざまな人物、さまざまな時代の視点から描かれる。この団地に刻まれた記憶と歴史が交錯していくんですよね。
柴崎 世代の違う人をたくさん出したかったんです。それによって、同じ場所なんだけれども、時代ごとのギャップを書きたかった。ひと言で東京といっても人によって全然違うように、今団地に住んでいる住民たちでも、世代が違うと同じ間取りでも全然違う場所のように住んでいる。それでも同じ場所なんだっていう感じも書けたらいいなと思っていました。
いろんな時代の人のエピソードが出てきますが、それが登場人物と直接関係あるかもしれないし、ないかもしれないし、間接的にどこかで繋がっているかもしれないし。大きい言葉で言うと、そうやって歴史はできていくのかなって思って。エピソード自体はたいしたことじゃなくても、そういうものの積み重ねで人の人生はできていくし。それが寄り集まってこの街になっていくのかなという感覚がありました。
――団地に並んだ“千の扉”の向こうの、いろんな人生を感じさせますよね。義祖父の勝男さんや、彼の娘であり一俊さんのお母さんでもある圭子さんにも、実はいろいろ事情がある。
柴崎 家族だからこそ話さないところってありますよね。たとえば自分の親が若い時、なんでその会社に入ったのかとか、二人の馴れ初めとか。どこで出会ったかくらいは聞けても、細かい話は聞かないですよね。自分の親も、祖父母の若いころの話って聞いてないんだろうなって思ったので。
最近は戦争を体験している人が少なくなっているからということで、証言を聞く番組をたくさんやっていますが、家族には話していなかったという人も多かったんです。辛すぎて話せない、話したくないということもあるし、いろんな事情があると思うんですけれど。戦争のことだけじゃなくて、人生の中のいろんな出来事が話されずに、そのまま忘れられていく。そうやって消えていく記憶もたくさんある。でもそういう出来事も、誰かの人生に繋がっているかもしれない。この小説の中だと、勝男さんは千歳という、もともとは関係がないけれどたまたま縁ができた相手だから話せたっていうところもあるんじゃないかと思っています。そういう斜めの繋がりも書きたいというのがあるんですよね。
CMのエプロンをかけたお母さん像とは違って、実際の家族は千差万別
―─千歳と勝男さんのやりとりがあけすけで面白いですよね。一方で、千歳と一俊の夫婦同士はちょっと遠慮があります。彼らは大恋愛をしたわけでなく、親しいわけでもなかったのに一俊さんから「結婚しませんか?」と言われて結婚したという。
柴崎 さきほど住んでいる場所がステレオタイプで描かれる、という話をしましたが、結婚とか夫婦、家族もそうだと思います。CMなんかではお母さんがエプロンしてご飯作って、子どもが二人くらい帰ってきて「おかえり。またこんなに汚して。洗濯しなきゃ」っていうのがまだまだ多いですよね。でも実際の家族は千差万別だし、夫婦関係もいろいろですよね。実際の人間関係は実は複雑。
恋愛にしても、私くらいの世代だと、若くて影響を受けやすい頃にやっていたドラマが、もう「恋愛最高!」みたいなものだったんです(笑)。運命的な出会いをして、すごい盛り上がって、喧嘩とかもして、泣きながら気持ちをぶつけあって(笑)。それで結婚するのが最高、っていう。でも現実にはそうじゃない結婚や夫婦もたくさんあるし、あってもいいですよね。そういう関係を書こうと思いました。
――淡々としているけれどうまくいっている夫婦かと思ったら、後半になって千歳さんが動揺する出来事がありますね。
柴崎 ちょっとあるんですよね。夫婦ってなんでも分かり合っているとか、なんでも話し合っているのが良いと思いがちなんですけれど。でも意外に結婚してから分かることってある。なんでそんな大事なことを結婚する前に話さないんだろうって思うけど、他の言動からたぶんだいじょうぶだろうと思いこんでいたり、結婚したことで関係性が変わったりすることもある。じゃあ、思っていたのと違うから別れるかというと、そうでもないというか。そのなかから関係性を作っていくことだってできるんじゃないかと思いました。話し合ってみたらやっぱり違うなと思うこともあるかもしれないけれど、そこでまた関係を手探りしていきたいなということもあるかもしれない。そんな全面的に分かり合っていなくてもいい、元々赤の他人なんだから違うのは当然で、そこから同関係を作るか小説で書くことで考えてみたいと思いました。