1996年のアトランタオリンピックに競泳日本代表として出場した井本直歩子さん。現役引退後はユニセフ職員としてギリシャやハイチに赴任し、国際協力活動を行っている。東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会のジェンダー平等推進チームのアドバイザーに就任した井本さんは、8月26日、ジェンダー平等のためのスポーツ報道について会見を開いた。女性アスリートの報道にはどのような問題があるのか、寄稿してもらった。(全2回の1回目。後編を読む)
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「日本の女性アスリートの報道では、『美しすぎる』など容姿や私生活の話題が多過ぎる」
オリンピック期間中、国際オリンピック委員会(IOC)と東京2020組織委員会の合同記者会見で私がそう言ったことが、国内外のメディアで沢山取り上げられました。ちょうど同時期にドイツの女子体操代表チームが、性的魅力を過度に強調したり評価の尺度にしたりする「セクシャライゼーション」に対抗するために、レオタードではなく足首まで覆われた「ユニタード」を着て出場したことや、ビーチハンドボールの欧州選手権でのノルウェー代表のビキニ拒否による罰金問題が起こったことも、話題性が高まった理由だと思います。でもそれ以上にやはり、「美しすぎる」といった形容詞や、容姿の整ったアスリートを過度に持ち上げる報道に対し、以前から違和感を感じていた人が多かったことが、反響の大きさに表れているように思います。
そもそも、女性アスリートを巡る報道には、“量”と“内容”の二つの問題があります。世界中を見渡しても、スポーツ報道は明らかに男性スポーツの報道量が圧倒的に多い。女性のみの大会に関するコンテンツは、世界でたった4%(ユネスコ、 2018)、日本でも9%(藤山、2018)というデータがあります。そして質の問題。特に日本では、せっかく女性アスリートが活躍して取り上げられても、男性と比べて明らかに容姿や私生活に偏った内容が多い。すべてのメディアとは言いませんが、ウェブ記事やスポーツ紙、バラエティ番組を見るとそれは明らかでしょう。
「それって悪いことなの?」
「メディアも営利企業なんだから、需要があれば当然でしょ?」
「その競技を知らない人が、ルックスや親近感から興味を持つのも重要では?」
そんな声が沢山聞こえてきます。