父の最期の様子を知っておかなければいけない気がする
依頼主の女性に見積もり金額を伝えると、すぐに作業をしてほしいと言われました。幸い、車にひと通りの作業ができる資機材を積んでいたため、そのまま清掃作業を行うことにしました。私としても、肉親を亡くした直後で動揺している依頼主にあの惨状を見せるわけにはいきませんから、すぐに清掃に取り掛かろうと思ったのです。しかし、その前に、女性にこう問いかけられました。
「清掃する前に、浴室の状態を見せていただけませんか? どうしても父の最期の様子を知っておかなければいけない気がするんです」
私にはとても勧める気にはなれませんでしたが、結局は、強い意志を感じさせる女性のまなざしに負け、自殺の現場まで付き添うことにしました。
そして浴室のドアを開けた瞬間、彼女は腰が砕けてよろめきました。特殊清掃の現場に慣れている私でも、あの血で染まった浴室に入ると無条件に衝撃を受けたのですから、一般の方、それも肉親であれば無理もありません。しかしすぐに立ち直ると、浴室全体を目に焼き付けるようにゆっくり見渡したあと、ダイニングの奥にある和室で畳の上にへたり込み、静かに涙を流しました。
私はそっとふすまを閉じ、やはり見せるべきではなかったと思いながらも、作業に取り掛かることにしました。私にできることをやるしかありませんでした。
浴室の10円カミソリ
現場は死後半日ほどしか経っていないため、腐敗もしていなければ、虫も発生していません。まずは左手に洗浄剤のスプレーを、右手に雑巾を持ち、浴室までつながる廊下に点々と付着した血痕を拭っていきました。
次は遺体のあった浴室です。いつものように「お疲れさまでした」とつぶやき、塩と酒をひとつまみして浴室内に弾くと、作業を開始しました。
浴槽内の水は血で赤く染まっています。しかし配管を詰まらせるような異物はなく、そのまま流しても問題なさそうでした。そして、血しぶきがかかった残置物を一つひとつ処分していきました。シャンプー、石鹸、洗面器、歯ブラシ、肌着……。次々とゴミ袋に入れていくと、浴室の片隅にあるカミソリが目に入りました。
安物の、いわゆる10円カミソリです。そのピンク色の柄は血液で濡れ、親指と人差指の指紋がくっきりと残されていました。掻き切った首からおびただしい量の血が噴き出す中、意識が遠のいていき、手の力が抜けて床に落ちた10円カミソリ……。これが家主の命を奪った凶器であることは間違いなさそうでした。警察は現場検証で事件性がないと判断すると、現場に凶器をそのまま置いていくのです。