佐藤輝明の二軍落ちは「吉兆」ではないか
9月10日、タイガースは佐藤輝明選手の一軍選手登録を抹消しました。
前半戦だけで20本塁打を達成したかと思えば、35打席連続無安打の絶不調。
打ちだしたら止まらないが、一度スランプに陥ると泥沼から抜け出せなくなる……そんな佐藤選手の現状は「That’s 長距離砲」という感じでむしろ愛らしくもありますが、さすがの矢野監督もこのままではいかんと思ったのでしょう。前日の試合にて9球連続ボールと荒れ狂った藤浪晋太郎投手と同時に二軍降格が言い渡されたのです。
これが入団以来初の二軍だというのも考えてみればすごい話ですし、あの藤浪投手を道連れにするあたりも大物感を醸し出していますが、多くの人が「佐藤選手の快進撃はこのまま終わってしまうのか」と不安視しているのも事実かと思います。
ですが、ベイスターズファンの私にはむしろ、この二軍落ちが佐藤選手にとって「吉兆」になるのではないか……そんなささやき声が耳元に聞こえてくるのです。
それはなぜか。佐藤選手の歩みが、ベイスターズのあるレジェンドとぴったり重なるからです。
あの「レジェンド」をお忘れではないでしょうか
佐藤選手は、やはり1年目から大活躍した多くのレジェンドたちと比較されてきました。
同じタイガースなら田淵幸一氏や岡田彰布氏。他球団なら同じ大卒であるあの長嶋茂雄氏や、ミスター赤ヘル山本浩二氏などと比較されることが多いようです。
そしてさらに多かったのが、清原和博氏との比較。清原氏は高卒ですが、それだけのインパクトがあるということでしょう。
でも、誰か一人、重要な人物をお忘れではないでしょうか。
21世紀に入ってからプロ野球入りした、同じく大卒で、初年度からホームランを打ちまくって大きなインパクトを残したスラッガー。
そう、「男・村田」こと、あの村田修一氏です。
ベイスターズで2年連続ホームラン王に輝いた後、2011年オフにジャイアンツにFA移籍。美しいホームランと華麗なゲッツーで一時代を築くも、2017年オフに寝耳に水の自由契約。NPB復帰を目指し栃木ゴールデンブレーブスに入団するも、そのまま引退。今はジャイアンツの一軍野手総合コーチとして、一塁コーチャーズボックスに立っているあの人です。
もはや多くの人が忘却の彼方にあると思いますが、2003年、日本大学からベイスターズに入団した村田選手のルーキーイヤーは、佐藤選手ばりの快進撃でスタートしました。
開幕からホームランを量産し、4月末までに7本塁打。ちなみに佐藤選手は3・4月の新人ホームラン数タイ記録を達成しましたが、その記録保持者こそが村田選手です。
三振、雑誌記事、そしてメジャーリーガーへの憧れ
二人は体型もだいぶ違いますし、佐藤選手は左打者、村田選手は右打者という違いもあります。ただ、その新人とは思えないふてぶてしいまでの存在感からか、私にはどうしても佐藤選手が新人時代の村田選手とダブって見えるのです。
佐藤選手の三振の多さはずば抜けていますが、村田選手も同様で、2006年には三振王に輝いています。そしてその翌年、ホームラン王に輝いています。
また、佐藤選手の目標とする選手がメジャーリーガーのブライス・ハーパー選手だということはよく知られていますが、村田選手も新人時代、目標とする選手としてマーク・マグワイア、バリー・ボンズ、ジェイソン・ジアンビーの3人の名前を挙げています。3人が3人とものちに薬物問題を起こしていることに少々胸騒ぎを覚えますが、ともあれ、どちらも入団当初からメジャーリーガーを目標にしていたというスケールの大きさを感じさせます。
その注目度の高さも共通しています。
2021年6月に発売されたスポーツ雑誌『Number』のタイガース特集では、下々を睥睨するかのような佐藤選手の写真が表紙を飾りました。新人野手が単独で表紙に起用されるのは清原氏、松井秀喜氏以来ということで、その注目度が知れるというものです。
一方、村田選手も負けてはいません。2003年6月号にて『月刊ベイスターズ』にて大特集が組まれております。その名も「村田修一と新人選手の本塁打記録」。まぁ、全国誌の『Number』と『月刊ベイスターズ』を比べるなという話ですが、この2球団の人気を考えればインパクトは同等だったととらえていただきたく思います。
ちなみに、お抱え雑誌であることの気安さゆえか、インタビュアーに「得点圏打率が低い」ことをネチネチとほじくり返される村田さんのインタビューは必読です。