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「僕、泣きそうになりました」ベイスターズ・田中健二朗32歳、復帰登板で見せた生きざま

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/09/21

「兄さん、感覚が違いすぎて怖いんですよ。自分の腕じゃないみたいです……」

 9月12日、「0」が抜けた背番号46を背負った田中健二朗が横浜スタジアムのマウンドの上にいた。彼の目にはどんな景色が写っていたのだろうか。私に冒頭の言葉を漏らしてからここに戻るまでの3年間、どれだけもがきどれほど苦しんだであろうか。

 しかし、彼の表情は喜びと自信に満ち溢れ、とても晴れやかだった。辛いリハビリ期間を経て、心身ともにレベルアップした姿で、投げられることへの喜び、支えてくれた方達への感謝の想いがこもった魂の11球に涙したファンの方は多かったのではないだろうか。

復帰登板の田中健二朗

「僕、泣きそうになりました」

 彼とは私が入団した2008年からの付き合いで先輩後輩ではあるがとても仲が良く、苦楽を共にして過ごした。何故か私のことを「兄さん」と呼び、私も弟のように可愛がり、私を兄のように慕ってくれた健二朗にはどうしても感情移入してしまう。

 当日、私はベイスターズプライムカメラの企画で横浜スタジアム内にいた。オンラインハマスタを体験された方ならご存知かと思うが、特設のブルペンカメラ(注1)の映像で彼が準備をしていたのは分かっていた。そして、リリーフカーに向かう彼の姿を見て解説中にも関わらず涙が出そうになり必死に堪えた。復帰登板を現地で観ることができて本当に嬉しかった。

 試合後に連絡をすると「僕、泣きそうになりました」と返ってきた。この言葉に全てが凝縮されている。マウンドから見える景色、彼にはどう写っていたのであろうか。

田中健二朗と筆者 ©小杉陽太

 今となっては前身の横浜ベイスターズから唯一の生え抜き選手。高校野球ファンなら彼のことは今でも記憶に新しいはずだ。春の選抜高校野球を制した常葉学園菊川高校の優勝投手で、精密なコントロールと左投手特有の落差のあるカーブで打者を翻弄した。

 そんな彼も今年で32歳を迎えた。

 2015年には初のオールスター選出。2016年からは2年連続で60試合以上に登板した紛れもない左の中継ぎエースだ。当初は先発をしたりロングリリーフをしたり、一軍と二軍を行き来する選手であったが、この時期を境にワンランク上の選手へと成長していったように思う。

 その大きな要因の一つが木塚さん(現一軍投手コーチ)と篠原さん(現スカウト)の存在ではないだろうか。

 左右違えどリリーバーとして百戦錬磨の二人がブルペンに居たことは健二朗だけではなく、多くの選手に好影響を与えた。私自身も二人に多くを学ばせて頂いたが、自分が生きる道、その道で生きていく為に必要な事は何かを口すっぱく健二朗を隣の椅子に座らせ話し込んでいた光景が今でも目に浮かぶ。

 毎日のルーティーンへのこだわり。細かい投球メカニックの確認。相手打者の傾向を必ずインプットする。ピッチング以外の細かな技術向上。

 16年のクライマックスシリーズ第3戦で、健二朗が走塁のスペシャリスト鈴木尚広さんを一塁牽制で刺したあのシーンはファンの方の目に焼き付いているであろう。あれはブルペンで投げ終わった後に必ず毎回取り組んでいた作業だ。取り組んでいたものの成果があの大舞台で表現できたというのは、日々の鍛錬の賜物だと思っている。

 万に一つ。そんな言葉があるが、彼はいつフィードバックが貰えるか分からない作業に軽視することなく淡々と向き合える才能がある。彼を見て小さな事でも良いから毎日何かを継続して過ごす事の大切さを学んだ。