時が流れるのは本当に早い。3連覇の輝かしい日々はどこへやら、カープは今や順位表の一番下にいる。
チームの顔だった「タナキクマル」トリオも三者三様だ。田中広輔はスタメンでの出場機会が激減し、ユニホームが変わった丸佳浩も二軍落ちを経験するなど本調子ではない。もう一人の男、菊池涼介は、この苦しいチーム状況に一体どのような思いを抱いているのだろうか。
「2000本安打達成」の集合写真を食卓に飾るほど慕っていた新井貴浩がベンチにいてくれたら……そう思っているかもしれない。と書きながら、「そんなことねーよ」という声が脳内で再生された。そうだ、菊池は過去にすがるような男なんかじゃない。常に前を向いている男なのだ。
「食えるほどお金貰ってないやろ?」
菊池との出会いは2014年1月。静岡県伊豆市で行われていた自主トレでのことだった。当初の目的は、前年に中日から加入した久本祐一(現打撃投手)の取材。そこに3年目のシーズンを迎える菊池も参加していた。
まさか、そこから毎年自主トレに顔を出すように、そして今現在まで付き合いが続くようになるとは微塵たりとも思っていなかった。
きっかけはあまり覚えていない。年が近い(筆者が1学年下)ということもあって、「舎弟2号」として、いろいろなところに連れて行ってもらった(なので、文中で呼び捨てしていることへの違和感が半端ない)。振り返ってみれば、菊池にとってメリットなんてないのに面倒を見てもらえて、本当に感謝してもしきれない。確実に今の自分があるのは菊池のおかげだと思っている。
20代前半の若さゆえの勢いでフリーランスを選んだ身。当然、稼ぎはほとんどなかった。
「食えるほどお金貰ってないやろ?」
たしかオフ日にタクシーで移動しているときのことだった。菊池の方から「連載をやってもいいよ」と提案してくれて、雑誌・広島アスリートマガジンに話を持ちかけたところ『菊池涼介のお悩み相談コーナー』というページを担当させてもらうことになった。
取材現場でもそう。NPBパスを持っておらず、たまにしか球場取材に行けない自分は、正直なところグラウンドでは肩身が狭かった。知り合いも少なく「こいつ誰?」みたいな目で見られる。そんな中、居場所を作ってくれたのも菊池だった。
球場で隅っこに立っていると、必ず声を掛けてくれた。
「ちょっとそこで筋トレな!」
ある日は挨拶代わりの筋トレ指令が飛んだ。試合前、ベンチ付近でストレッチを始める選手たちの側で、なぜか空気椅子をするカオスな状況。またたく間に足がプルプル震え出すと、「おい、まだ10秒もたってないぞ!」。そういったことを繰り返すうちに、“菊池にいじられてる人”として他の選手たちにも顔を覚えてもらえた。
「俺も年をとったから……」30代での心の“変化”
といったように、優しさ、気遣い溢れる男なので、当然後輩たちの面倒見も良い。
今年の自主トレには3年目の羽月隆太郎と2年目の韮澤雄也が新たに参加していた。これまでも庄司隼人(現スコアラー兼編成)や野間峻祥、磯村嘉孝といった後輩たちと一緒にトレーニングしてきた。ただ、その時とは風景が全く違った。若手2人に熱心に手取り足取り指導していたのだ。
これを見て、かなり驚いた。一回り近く年が離れているとはいえ、2人とも同じ内野のポジションを守る選手たち。昔だったら想像もつかなかったことだ。なぜならば、自分にチャンスが巡ってきたのも、それまでセカンドを守っていた東出輝裕(現二軍打撃コーチ)の故障離脱がきっかけだったからだ。
何かあればポジションなんか簡単に奪われてしまうという危機感を常に抱き、同じポジションの選手をライバル視していた。それ故に高熱が出ても、身体の痛みがあっても、弱みを見せずに試合に出続けていた。
「俺も年をとったから、一緒にトレーニングしている若手の活躍は素直に嬉しいよ」
そんな菊池が周囲にそう口にしているという。羽月なんかもそうだし、2018年から自主トレを共にしている中日・三ツ俣大樹の活躍も喜んでいる。これまでは先述の新井や久本といった兄貴についていきたいタイプだったが、今や菊池が立派な兄貴分。30代、中堅という立場になり、引っ張っていく意識がより強くなったのかもしれない。