「東大に三回落ちた。私は決して線の細いエリートではない」
発信に目覚めた岸田は何を語ったのか。前掲10月号のインタビューでは、上記のように安倍政治の罪の部分を論じると同時に、誰しもが思う岸田の弱点を自ら潰していく。たとえば「権謀術数が渦巻く中」も歩み、「加藤の乱」も経験して権力闘争とは無縁でないと、20年前の話でもって永田町的なマッチョぶりをアピールしている。
また東京生まれの世襲議員であることから、ひ弱なボンボンと思われていることを意識してのことだろう、岸田は苦労や挫折の経験として、大学受験の失敗を語る。
「私は決して線の細いエリートではありません。母校の開成高校は東大に進む生徒が多い中、私は東大受験に三回失敗するなど悔しい思いもしました。結局、早稲田と慶應の両方に受かりましたが」と言い、早大に進んで、バンカラな気風の中で自分を見つめ直すことができたと続けている。
はたして、ここに共感性はあるだろうか。「保育園落ちた日本死ね」ならぬ、「東大落ちた?だから何」である。
たとえば同じく「加藤の乱」の敗軍の兵である谷垣禎一も政治家の家に生まれた。こちらは麻布高校から東大法学部に入るのだが、山登りに熱中したため卒業に8年かかり、その後司法試験浪人を重ねて、社会人になるのは37歳のときであった。そんな浪人時代を振り返り、谷垣はこう語る。「午前中はずっと寝てて、正午過ぎに『俺は一体何してんだろう』と思いながら布団から出て、人生考え込んじゃった時があったよ」(石井妙子『日本の血脈』文春文庫)。
弱さも人の魅力になる。それを体現したのが谷垣であった。対して岸田は弱さを打ち消そうとする自分語りによって、かえって弱くてつまらない自画像を浮かび上がらせているように感じられる。
また岸田は昨秋、書籍2冊を刊行している。『岸田ビジョン』(講談社)は安倍首相の任期が切れる2021年に向けての自己発信のための書物であったろう。ところが発売直前に安倍が辞意を表明し、総裁選の最中の出版となってしまう。おまけに「岸田ビジョン」を謳いながらも、言うほどビジョンは示されていない。