9月8日、長くニッポン放送のプロ野球実況を務め、約1600試合を実況した深澤弘アナウンサーが亡くなった。享年85。奇しくも今年はショウアップナイター55周年の年だった。
その日夕方のニッポン放送『ショウアップナイタープレイボール』では教え子である松本秀夫アナが訃報に触れ、盟友・長嶋茂雄による“選手と取材者を超えた親友だった”との談話を紹介。続けて解説者として何度となくコンビを組んだエモやんこと江本孟紀が電話で登場し、“阪神を退団して路頭に迷っている時最初に声をかけてくれた。今日の私があるのは深澤さんのおかげ”と涙ながらに思い出を語った。また13日夜には追悼特別番組を放送。王貞治、大矢明彦らがコメントを寄せている。
「選手と取材者を超えて」…長嶋茂雄氏との関係
長嶋茂雄の現役時代、文字通り「選手と取材者を超えて」毎晩のように素振りに付き合った話、引退試合のラジオ実況を直々に依頼された話、それからはブレーン的存在となり、1980年の巨人監督解任後は実現こそしなかったものの横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)の監督就任に向け双方の仲介役を担ったことなど、深澤アナとミスターの関係にまつわるエピソードは生前からよく知られている。しかしそれらの多くは90年代に入り氏がフリーとなってから明かされたもの。70年代から80年代にかけ、特に関東地区の野球ファンは贔屓球団に関係なくあの張りのある声と、軽快なテンポの喋りに魅了されたのである。
当時のニッポン放送は巨人主催ゲームの放送権がなく、後楽園で巨人戦が行われている場合は横浜スタジアムの大洋戦や神宮のヤクルト戦、時には在京パ・リーグの試合を中継していた。大洋ファンの筆者がショウアップナイターを聴くようになるのは自然な流れで、夕方5時50分になると(その後5時40分に早まった)ラジオをつけダイヤルAM1242にチューニング。冒頭で深澤アナが登場すると、前説的に前日の振り返りや順位変動、各球場と結びながらその日の注目点などをコンパクトに話し、当日の担当アナにバトンタッチ。自身が実況する日はそのまま中継へ突入した。これが毎日のルーティンで、ネットもCS放送もなく、巨人中心に回っていた時代、ホエールズの情報を得るのに深澤アナの存在は不可欠だった。それはヤクルトファンも同じだろう。