生活相談の先生が不在だったため、担任の先生と話していた母親が、私と担任の言い分が食い違っていることに気が付き、電話を保留にしてこう聞いた。
「あんたの担任、あたしが『なんで担任のあなたは何も対応してくれなかったのか』って聞いたら、今日は出張で一日じゅう学校にいなかったから、あんたが呼び出されたことも、泣いてたことも今の今まで何も知らなかったって言ってるけど、どっちが本当?」
このとき、40歳を超えた大人であっても、しかも教師であっても、自分の保身のためなら平気で子どもを犠牲にする嘘を吐けること、そして、自分たちの都合のためなら、子どもを恫喝してでも嘘の「既成事実」を作ろうとすることを知った。
その後、嘘がばれて母親からこっぴどく、ボロクソに詰問された担任の男は、泣きながら「吉川に代わってもらえませんか」と懇願したという。電話に出ると、担任は嗚咽しながら「吉川は俺のこと嫌いかもしれないけど、俺は吉川のことが好きだから」とくりかえしていて、気持ちが悪いので「切りますね」とだけ伝え、すぐに電話を切ってしまった。
私は幼少期から家庭内で殴られていて、母親とも共依存の関係だったが、この一件以降、幸か不幸か「やはり他の人間を信用してはいけない」と思うことで、ますます依存関係が強まってしまったように思う。けれども、あくまでこの一件に関しては、私は母親に助けられたことに違いはない。
だからこそ、私は「学校」に対するトラウマをそこまで大きく抱えていないのだと思う。
学校でいじめにあっていた知人
一方で、小学校の頃に、クラスメイトと教師から凄惨ないじめに遭っていたという知人がいる。毎日毎日ひどい目に遭うので、ストレスで髪の毛が大量に抜けてしまったり声がうまく出せなくなったりしてしまったが、さらにその様子を面白がって笑われるので、生きているのが本当に辛かった、と話していた。
私は学校でそこまでひどいいじめに遭ったことはなかったが、親からの虐待、兄からの家庭内暴力と家庭内に大きな問題を抱えていて、それはそれで逃げ場がどこにもないので、小学生の頃からいつも死ぬことばかり考えていた。