「学校に行くのをやめたいと思わなかったのか」と私が聞くと、知人は「親に知られたくなかったから、どうしても言えなかったし休めなかった」と答えた。親にも言えない、学校の先生は助けてくれるどころかいじめに加担している。どれだけ地獄だったことだろうと想像して、胸が痛くなった。
私にはあのとき戦ってくれる母親がいたが、知人は優しすぎる性格で、どうしても母親に心配をかけたくなかったのだという。
私も知人も、もう長い間うつ病と闘っている。私はうつ病にくわえて「複雑性PTSD」(家庭内殴打、児童虐待など長期反復的なトラウマ体験の後にしばしば見られる、感情の調整困難を伴う心的外傷後ストレス障害)の治療もしているが、知人もまた、うつ病以外に抱えている問題があるという。
互いに逃げ場がなかったことが大きく影響しているらしく、私も知人も、良い大人になってなお、他者と関わるのがこわくて苦手だ。
守ってくれる大人がいたかどうか
私には子どもがいないが、子どもにとって「守ってくれる大人がいない」または「逃げ道がない」というのがどれほど地獄であるか、そしてその後、大人になってからも長く続く苦しみについて、考える機会が増えた。
子ども時代に他者から大きく傷つけられた人間は、心を閉ざしたりむりやり形を曲げたりして、どうにか他者との関係性において、過剰に「適応」しようとする。そして不自然な形に押しすくめられたまま成長した心は、修復されることなく「生きづらさ」となって残り続ける。
「生きづらさ」というとイメージがしづらいが、実際には希死念慮、フラッシュバック、悪夢、不眠、不定愁訴などに悩まされ、精神疾患や障害につながることもあるため、いかに早く問題を発見し、トラウマを形成する要素を排除し、安全な場所に移すか、が重要な鍵となる。
実際、幼少期から続いた虐待や家庭内暴力による影響が私の身にはっきりと現れたのは中学生以降であり、異変に気付きつつも逃げ場がなく、精神科通院とカウンセリング治療を受けられるようになったのは、ここ数年のことである。
知人は知人で、自分が抱える生きづらさやうつの症状を薬を飲むことでだましだまし、どうにか生きている。