清掃労働者への差別は現在でも根強く残る
このような清掃従事者への差別がなされる中でも、世間にはまっとうな親もおり、一条の光となる事例もあった。それは、清掃従事者に「くさい」と言った息子の愚行を正した親から詫び状が届いた事例である。少し長くなるが引用しておく。
「ぼくは、ゴミを運んでいる人に『くさい』と言ってしまいました。すみませんでした。本当は命をかけてはたらいているとお母さんから聞きました。むかし、ゴミの中にスプレーかんが入っていて、それを知らないゴミしゅうしゅう車がばく発したとききました。こんなにあぶない目に合うかもわからないのに『くさい』と言ってすみませんでした。これからは命がけではたらいている人に心の中で『ありがとうございます。』と感しゃしたいと思います。」
この手紙とともに母親からも寄せられた。
「前略 先日は息子が大変失礼な言動をし、関係者の方々にご迷惑と不快な思いをお掛けしてしまったことを改めてお詫び申し上げます。子どもとは言え、配慮に欠けた言動を親としても見過ごす訳にもいかず、働く方々への尊敬の念を再度話し合いました。自分の行動の誤りと恥ずかしさを子供ながらも認識できたのではないかと感じております。また、そういう大切な気持ちを確認できた良い機会であったと捉え、今後の成長につなげてゆきたいと思っております。本当に、今回は大変不愉快な思いと悲しい気持ちにさせてしまった清掃担当者の方々に心よりお詫び申し上げます。寒さ厳しい毎日ですが、くれぐれもお体をご自愛下さいますように。 敬具 清掃担当者様(*3)」
*3 2018年10月9日開催の講演会での押田五郎氏の発表資料「清掃労働者として人らしく生きる」から引用
緊急事態宣言下で排出されるごみ袋へ住民からの謝意が貼られるようになった状況に鑑みれば、清掃労働者への差別は一昔前の話のように思えるかもしれないが、現在でも根強く残り完全に払拭されてはいない。筆者が懇意にしている第一線で活躍する23区の若手清掃職員(東京清掃労働組合青年部)の方々からは、住民に配慮しながら収集作業を行っている横で、鼻をつまむ子どもを見て見ぬふりをする親がいたことや、清掃従事者を「ゴミ屋」と罵倒する住民がいたことも聞いた。さらには訪問収集先の住民からまるで清掃従事者が感染者であるかのように扱われ、訪問先ごとに制服を着替えて来るように理不尽な要求をされたとも聞いた。謝意が示される一方ではこのような差別や侮辱も存在しているのが現状である。
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