改めて地図を見るとわかるが、亀山駅のすぐ西側には鈴鹿山脈の山並みが迫っている。
技術がまだまだ未熟だった時代の鉄道にとって、山越えはまさに試練の道のり。山越えを控える亀山駅で機関車を付け替えたりして、やっとのことで登っていた。なので、亀山駅には広大な機関区が設けられるなど、当初から鈴鹿山脈越えの要衝としての役割を与えられていたのだ。最盛期には1000人近い職員が働いていたという。
いまでは名古屋方面からの電車はすべて亀山止まりで鈴鹿山脈を越えていく列車は走っていないし、そもそもこのご時世に機関車の付け替えなど必要はない。が、いにしえの名残というべきか、駅の構内には小さな車両基地があって、そこにはJR西日本側の気動車が眠っている。
ともあれ、東海地方の端っことして関西行を控える要衝の亀山駅。それはもう、立派な駅なのでしょうね……。
「振り返って駅舎を見ると、美しい駅舎であった」
そう思って改札口をさっさと抜けて駅を出る。振り返って駅舎を見ると、赤い瓦の屋根が映えるなかなかに美しい駅舎であった。なんでも、1913年に完成したものを改築したり修繕したりしていまも使い続けているらしい骨董品。そのためか、交通の要衝の駅にもかかわらずずいぶんと小ぶりだ。
都市部によくある駅商業施設の類いはなくて、小さな駅舎がぽつんとひとつ。何台かのタクシーが客待ちをしている駅前には、立派な鳥居が建っていた。
扁額を見ると、この鳥居は能褒野神社という神社のものらしい。駅前に立派な鳥居があると、伊勢神宮とかそれに近いレベルの大きな神社なのかと期待してしまうが、能褒野神社はそれほどのものではなく、それどころか亀山駅の近くには大きな神社はまったくない。能褒野神社は亀山駅から北東へ、かなり離れたところにある神社で、1925年に村社から県社に格上げされたことを記念して設けられたものだという。