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「世界の亀山モデル」から20年…名古屋から1時間の“ナゾの終着駅”「亀山」には何がある?

東海&西日本の“端っこの駅”「亀山」#1

2021/09/21

genre : ライフ, 歴史, , 社会

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新築マンション群を抜けて高台へ

 さすがに能褒野神社まで行くのはしんどいが、せっかくなのでこの鳥居をくぐって駅の周りを少し歩いてみよう。駅前には、なにやらマンションの建設が行われているようだ。のどかな駅前風景とは無縁の立派な新築マンションだが、名古屋へ電車で1時間、その上始発駅だから絶対に座って通勤できるとなれば、意外と悪くない場所なのかもしれない。

 さらに駅前の通りをまっすぐ行くと、すぐにそのまま下に道路をくぐらせる陸橋になる。突き当たりは崖になっていて、急坂を登って高台の上へ。まっすぐ眼下に亀山の駅を見下ろせる高台だ。

 

 かつて、亀山の街には旧街道の東海道が通っていた。江戸時代には譜代の藩主が治める亀山藩の城下町、そして東海道の宿場街として栄えていた。

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 ただし、その中心をいまの亀山駅前だったとするのは駅を中心に街が広がると思い込んでいる現代人の勘違い。城下町や宿場街の中心は、高台の上。亀山駅からみて北東側に広がっていた。江戸時代末、亀山宿は人口1549人、21の旅籠があったという。

どうして「亀山」がこの場所に出来たのか

 高台に登らずに手前の道を右に少し歩くと、ドラッグストアやコンビニ、飲食チェーンが並ぶそれなりに賑やかな大通りに出る。この道をさらに右に折れてまっすぐ南に行けば、まもなく亀山駅のすぐ東側、関西本線の線路に突き当たる。

 この踏切のあたりは、ちょうど関西本線と紀勢本線が分岐しているところだ。関西本線は概ねまっすぐ東に行くが、紀勢本線は南にカーブ。その間には田んぼが広がっていて、紀勢本線はすぐに鈴鹿川を渡る。亀山駅は、南側に鈴鹿川が流れるそのほとりにある駅なのだ。

 

 東海道が通り、古き城下町と宿場街があった高台はこの鈴鹿川が作った河岸段丘の上にある。川沿いは水を得るのが容易なので田んぼなどには向いているが、市街地とするには洪水のリスクもあって不向きだ。それに、かつての東海道も関西本線ともどもこれから鈴鹿山脈越えを控えているわけで、わざわざ川沿いの低いところを進む必要もなかろう。