静かな住宅街で浮いていた赤と青のスポーツカー
かつて落合がホームラン王、打点王、首位打者の三冠を獲得した1980年代、タイトルの賞品として有名なスポーツカーを手に入れたという記事を読んだことがあった。自らのバットで稼ぎ出したその車に、20年以上経った今も乗っているのだろうか……。目の前の車が何という車なのか私にはわからなかったが、落合という人間のある一面を見たような気がした。
落合はレトロな雰囲気を漂わせた愛車をゆっくりと車庫から出すと、家の前に横づけにした。その赤はコカ・コーラの250ミリ缶のように陽気で、青は底の見えない海溝のように深かった。その車がどんな種類のものなのか、そうした不調和な色の車が本当に存在するのか、私は知らなかった。だが、錯覚しているのかもしれないとは考えず、ただ私にはそう見えた。ふたつの色彩が都内の静かな住宅街の中ではまるで浮いていて、どこかまったく別の世界からやってきたもののようである印象だけを脳裏に刻んでいた。
落合は車を降りてガレージを閉めると、俯うつむき加減に私の方へ歩いてきた。慌てる素振りはひとつもなかった。
「で、なんだ?」
私の前まで来ると落合は顔を上げ、ちらりと視線を合わせて言った。
「〇〇に言っとけ。恥かくぞってな」
伝書鳩はそこでようやく、用意された台詞を吐き出すことができた。伝えるというより、ただ再生した。
「落合さんが中日の監督になるという話を聞きました。それを書かせていただきます─」
すると落合は、私がまだその短い台詞を言い終わらないうちに、またふっと笑って「〇〇か?」とデスクの名を言い当てた。落合は目の前にいる記者がメッセンジャーであるとわかっているようだった。私はその問いにただ黙って頷くことしかできなかった。
「〇〇に言っとけ。恥かくぞってな」と落合は言った。
「それでもいいなら書け。書いて恥かけよってな」
会話はそれで終わった。それ以上の伝えるべき言葉を私は持ち合わせていなかった。
それから落合は愛車に乗りこむと、どこかへ走り去っていった。スポーツカーにしては慎ましいエンジン音が静かな住宅街に響いた。
デスクは「そうか!」と大きな声で笑った
駅への帰り道はもう迷わなかった。道すがら、私は最後にもう一度、伝書鳩としての役目を果たした。携帯電話を取り出し、デスクへ伝言を届けた。
「恥をかいてもいいなら書けと言っていました。書いて恥かけよ、と……」
「恥かけ? 落合がそう言ったのか?」
電波の向こうでデスクは私に問い返すと、返答を待たずに「そうか!」と大きな声で笑った。私にはその笑い声の理由がわからなかった。
電話はそれで切れた。
通勤時間を過ぎて静かになった小田急線の駅に着くと、私は改札を通り、上りのホームで電車を待った。そして、ぼんやりと思った。
おそらく落合という人物が中日の監督になることはないのだろう。