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私は伝書鳩にすぎなかった

「オチアイには、俺からだと伝えておけ」とデスクは言った。聞くところによれば、かつて落合が中日に在籍していた時代の担当記者だったらしい。

 我がボスは当時の監督だった星野仙一のことは「仙さん」と呼んだが、落合のことは投げやりに「オチアイ」と呼んだ。どうやら落合のことが好きではないらしい、ということだけは伝わってきた。

 ただ、私が知っているのはそれだけだった。それ以外のことは何も知らなかった。「落合が中日の新監督になる」という情報の出所を教えられているわけではなかった。ここに来たのは、その真偽を確かめるためでも、新たな何かを訊くためでもなく、ただ決められた言葉を伝えるためだった。

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 私はいわば伝書鳩にすぎなかった。

 別に腹は立たなかった。社会に出てからはすべてがそうだったからだ。自分が何かをするしないにかかわらず、あらかじめこの世界にいた人たちによって物事は進んでいく。

星野が監督だった頃のこと

 私が名古屋本社の記者になったとき、中日ドラゴンズの監督は星野仙一だった。かれこれ10年以上もこの球団の監督をしている星野の周りには、いつも大勢の人が列をつくっていた。担当記者たちは星野の名前が刺繍されたお揃いのジャンパーを着て、星野とともに散歩をした。朝食を共にして、お茶を飲んだ。そして星野が昼夜を問わずに開くどの会合も“指定席”はすでに埋まっていた。

中日ドラゴンズで監督を務めていた星野仙一氏 ©文藝春秋

 上座にいる星野の隣には親会社である新聞のキャップが、そこから古参の順に各新聞社のキャップが並んでいた。新参者は、星野の声が聞こえるか聞こえないかという末席にいるしかなかった。その席からわかるのは、星野が朝はいつもトーストに目玉焼きとレモンティーを頼むこと、目玉焼きは「オーバー」と注文を付け加えて、両面焼きにするということくらいだった。星野が笑い、古参が笑えば、意味もわからず私も笑みをつくった。それ以外は黙っていた。会合が終わると、他の記者たちと並んで同じように星野に頭を下げる。それだけだった。そうしているうちに一日は過ぎて、翌朝には私の知らないところで新聞ができあがっていた。