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2021/09/24

source : 週刊文春出版部

genre : エンタメ, スポーツ, 読書

「ねえ、本当にオチアイがやるの?」

 恥かけよ──。前日の落合の言葉と、デスクの笑い声が頭の中で交錯した。私自身、新聞に書いてあることが本当なのか、見当もつかなかった。

 いつものように、末席から遠く離れた上座で物事が進んでいるのだ。

 私はバツが悪くなって記者席に引っ込んだ。染みのついたコンクリートの上に、色あせた横長のテーブルと簡易椅子が並んでいる。バックネット裏から、この球団の歴史を見続けてきた一室で、私は息をついた。すると、そこへ中日ひと筋30年という年嵩の球団スタッフが何かを考え込むようにやってきた。私を見つけると、やはり山本昌と同じ問いを投げてきた。

「ねえ、本当にオチアイがやるの?」

 その表情と目の色から、落合が監督になるのを歓迎していないことが伝わってきた。何か厄介ごとを背負い込んでしまうというような顔だった。

 不思議だった。この朝、中日の新監督が落合に一本化されたと報じたのは、数ある新聞のうちたった一紙に過ぎなかった。親会社の新聞もまだ報じていない。そんな不確定情報が多くの人の心を波立たせている。

 そして、その波紋はかつてこの球団にいたころの落合を知る人間──とりわけデスクのように星野のことを「仙さん」と呼び、落合のことを「オチアイ」と呼ぶ人たち──ほど大きいように感じられた。

 何があったのだろうと、私は思った。

ロッテオリオンズ在籍時の落合博満選手 ©文藝春秋

 落合がロッテオリオンズから中日に移籍してきたのは1986年末のことだった。

 その年のオフに監督になった星野が、四選手との交換という大型トレードによって引き抜いたのだ。パ・リーグで三冠王を三度獲得していたバッターは、その移籍によって日本人初の年俸一億円プレーヤーとなり、「優勝請負人」と呼ばれるようになった。

 そして1988年、実際に主砲としてチームを優勝させた。地方球団に6年ぶりの歓喜をもたらした。

 それなのに今、この球団において落合の面影は意外なほど薄く、選手やスタッフにはアレルギー反応のようなものさえある。

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