2021年9月3日、菅義偉氏の総裁選不出馬のニュースが全国を駆け巡った。新型コロナウイルスの猛威がおさまらない中でのリーダー退陣報道は、政界をはじめ日本全国の動揺を招いた。

 安倍晋三前首相から「鳴り物入り」で政権を引き継いだかに思われていた菅政権。しかし、実のところ菅氏には「意に背く人間は排除する」という強硬な姿勢があったという。ここではノンフィクションライターの森功氏による『墜落 「官邸一強支配」はなぜ崩れたのか』(文藝春秋)の一部を抜粋して菅政権の裏側に迫る。(全2回の1回目/後編を読む)

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逆らう奴はクビを切る

「あの佐伯の部屋はどういうことなんだ。いくら何でもひどすぎないか」

 部屋の状況を送られてきたスマホの画像で知った今井尚哉は、すぐに官房長の多田明弘に電話した。佐伯とは安倍首相時代の首相秘書官だった佐伯耕三のことである。

 佐伯がとつぜん引っ越しを命じられた先は、経済産業省の13階にある小さな会議室だった。壁際の長机の上にパソコンが置かれている。だが、椅子以外には何もない。暗くはないが、いかにも殺風景で殺伐としている。段ボールで荷物を運び込んだ佐伯の部下は、思わず「まるで倉庫のようだ」と漏らした。

 2020年9月16日の菅義偉新内閣誕生に伴い、自民党の役員や閣僚の人事が矢継ぎ早に発表された。居抜き内閣と呼ばれ、閣僚や自民党幹部の顔ぶれが変わらない反面、注目されたのが、これまで安倍政権を支えてきた官邸官僚たちの処遇だ。

©文藝春秋

 官房長官だった菅はこの2年近く、今井たち安倍の側近グループと溝を深めてきた。とりわけ安倍が最も信頼を寄せ、政策を委ねてきた今井をはじめ、広報担当補佐官の長谷川榮一や経産省経済産業政策局長の新原浩朗、事務秘書官の佐伯……。経産省出身の官邸官僚たちは菅政権が発足すると、どう処遇されるか。霞が関のみならず政官財界における最大の関心事がそこだった。

 そのうちの一人である佐伯は内閣発足当日、大臣官房参事官兼グローバル産業室付となる。通称グロ産室は文字どおり世界的な産業育成を謳い、経産省の9階に置かれている。だが、佐伯はあくまで「室付」であり、指示されて向かった先が13階の会議室だ。ある同僚官僚は、菅政権発足間もなく佐伯の引っ越し先を目撃し、こう同情した。

 「経産省ではグロ産室の勤務そのものが閑職に近く見られており、しかもその室付の佐伯は何もすることがない。さすがに勤務場所は会議室からは移るでしょうけど、まるで現代版座敷牢に閉じ込められているみたい。民主党政権時代に更迭された(経産省の)古賀茂明は1年以上個室に閉じ込められたけど、同じような空気を感じます。

 会議室にポツンと一人でいるだけでした。菅さん、ここまでやるか、と権力の恐ろしさをつくづく思います。おまけに佐伯は安倍政権で秘書官という特別職になり、そこから今度、古巣の経産省に転職してきた形になっています。したがって新規採用扱いで、給与面も人事院と協議して決めなければならない」