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「病院を変えたのは私。今でも自分を責めてしまう」

 今年8月上旬、自宅で取材に応じた享子さんは、事件から5年の月日を経ても癒えない傷に苦しんでいるようだった。

「早く(事件を)忘れたい。忘れなくちゃいけない。自分自身もおかしくなっている。50キロ台だった体重が30キロ台になってしまった。でも、早く忘れたいのに忘れられないんです。

 病院変わってすぐに事件に巻き込まれたんです。病院を変えることを決めたのは私なんですよ。長くなりそうだからって。今でも自分を責めてしまいます。あのとき病院を変えていなければ……。

旧大口病院 ©共同通信

 ただ自然に亡くなったんならいいんですけど、亡くなる直前に最後に病院で会ったとき『苦しい』『苦しい』と主人が言っていたことが耳に残っているんです。そのときに私が『点滴やってもらっているからすぐに良くなるよ』って言ったのに、その点滴の中に消毒液が入っていただなんて」

 西川さんについて話を聞くと「とにかくおとなしい人だった、悪いことはしない、孫をかわいがっている普通のおじいさんでした」と振り返った。

「まさか看護師にやられるとは」

「このあたりには同じ会社に勤めていた人が多く住んでいて、同世代がたくさん住んでいます。みなさんご主人はお元気なんです。(事件がなければ)うちの主人も元気だったんだろうと考えてしまうんですよ。どうしようもないんですけどね。

 日中は子供が来てくれたり、友人と話をしたりして気を紛らわせられるけど、夜になって話す相手がいなくなるとね。娘も忙しいから、電話かけても出られないときもある。生活もあるから迷惑はかけられないからね。なんかあると思い出して、一人で泣くことも減りません。思い出すと頭がおかしくなっちゃうから、早く忘れよう、忘れようと思っているのに。なんで私がこんな思いしなくてはいけないんでしょうか」

送検時、神奈川県警本部を出る久保木愛弓被告を乗せた車 ©共同通信

 久保木被告については、言葉少なにこう答えた。

「本当にひどいことをされてしまいました。まさか看護師にやられるとは思っていなかった。あと私も何年生きるかわからないけど、思い出してはいろいろと考えてしまいます。事件さえなければ、近所の人たちと同じように生きていたんじゃないでしょうか」

 取材時、久保木被告への恨みなどは多く語らず、少しでも事件を忘れたい、という思いが強く感じられた。

 西川さんだけでなく、大口病院で突然死したのは48人。その遺族たちは初公判をどういう思いで迎えるのだろうか。