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「あっ、これで本当にプロ野球選手ではなくなるんだな」…元ベイスターズ選手が振り返る、戦力外通告は“始まりの合図”

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/10/13

 野球が職業になったら好きなだけでは続けられない。

 それどころか野球が楽しいと感じたことはないと仰られる方もいる。当然そういった意見も理解できる。

 好きで始めた野球でお金を頂き職業になるわけだから、徐々に色々な感情が芽生え、責任も生まれる。チームスポーツ言えども皆個人事業主だ。生活もある。

 限られた数少ない人たちが「野球」を職として飯が食える。

 私が30歳で現役をさせてもらっていた時も、小中高の同級生で野球を本格的に続けていたのは私ただ一人だった。

 これは自慢でも何でもなく、誰しもがどこかのタイミングで、何かしらの理由でプレイヤーとしての野球から一線を引くことになる。

 自分の意思でボールとバットを置ける選手はごく僅かだ。

終わりがくるという事は何かが始まる合図

 今、ちょうどこの原稿を仕上げているタイミングでドラフト会議が始まった。

 指名を受けた選手たちは歓喜の声をあげ、嬉しそうな表情に満ち溢れていた。私も2008年の秋にドラフトで指名を受け、小学生からの夢を叶えることができた人間の一人だ。

「嬉しい」を一言では言い表せないくらい嬉しかった。これから待ち受ける未来は絶対に明るいはずだ。一瞬そんな気持ちになった。

 しかし、新人選手が入団するということは、今いる誰かが辞める。いや、「戦力外通告=クビ」が言い渡される。そういう世界なのだと、強く肝に命じた瞬間でもあった。

現役時代の筆者・小杉陽太

 2017年の9月30日の夜に一本の電話が鳴った。

「明日、球団事務所に来て欲しい」

 この日の2日前、2軍の試合に家族を呼んだ。

 この時期になると選手もコーチも言葉にせずとも雰囲気はわかるし、自分もそうだった。仲良かった同級生や先輩や後輩がもしかしたら……と。

 これほど辛い事はなかったが、いざ自分が逆の立場になると意外と冷静だった。

 最後になるかもしれない登板を誰に見てもらいたいか、考えていた。今まで自分から「試合を見にきて欲しい」と言ったことがなかったので、何も言わずとも家族は察してくれていた。「最後の登板になるから」と言わずとも。

 投げ終えると仲が良かった先輩下園さんがベンチで迎え入れてくれて、ハグをしてくれた。チームメイトが握手を求めにきてくれた。皆、感じ取ってくれていたんだと思う。

 試合後に家族と写真を撮ったが、自分だけが気持ちを固めていて、家族は「まだまだ現役でやれる」そんな感情だったかもしれない。子供達はなぜ私が野球を辞めるのか、ユニフォームを脱ぐのか理解していなかったと思う。

©小杉陽太

 申し訳ない気持ちと感謝の気持ちで一杯だったが、プロの世界がどれだけ厳しいものかは自分が一番身に沁みてわかっているつもりだ。

 一度でも、一瞬でも気持ちが切れた者に取り返すことができるほど甘い世界ではないと。